Kamiyo

はなれ瞽女おりんのKamiyoのレビュー・感想・評価

はなれ瞽女おりん(1977年製作の映画)
3.8
1977年 ”はなれ瞽女おりん” 監督 篠田正浩

水上勉の後期代表作の映画化で、「五番町夕霧楼」、「あかね雲」、「飢餓海峡」等で、“薄倖の女性と逃亡者の男の刹那的な愛”を
繰り返し描いて、日本人の“愛と運命観の根底にある美意識の
琴線”に触れてきました。

瞽女というのは明治から昭和初期にかけて北陸地方を回りながら
唄と三味線で門付をしていた盲目の女旅芸人のことである。
越後を中心に複数のコミューンが形成され
「長岡瞽女唄」というのを広めていた

哀しき女旅芸人、瞽女の一生。といっても映画で描かれるのは
おりん(岩下志麻) と脱走兵・平太郎(原田芳雄 )の旅暮らしが
主に描かれていて、おりんの生涯を描くものではない。

おりんが美貌の持ち主であり、また男の温もりを欲する女でも
あったというところが余計に悲しさを倍増させることになる。
盲目というハンデにもめげず健気に明るく振舞う姿に
だから余計に悲しみが伴う。
目明きならば謳歌できたであろう恋も結婚も最後まで
彼女の手に届かない。
女のめくらには按摩か売春しか道がない、と言われた時代。
そんな中で瞽女という芸能の道はこの時代なりの救済場所でもあった。でも厳しい戒律のもとで運営されていた

盲目の少女おりんが浜村純扮する周旋屋によって奈良岡朋子・親方の
弟子に入り、瞽女の修業を経て成長し岩下志麻になり
奈良岡親方の命令により本来なら神にだけ肉体を捧げ
男と関係を持つことを禁じられているところ
旅先で宴会客・西田敏行に夜這いを受けて関係を持って以来
己の中にある欲望に目覚め、奈良岡から叱責されたことをきっかけに
“はなれ瞽女”となった。
おりんと言う瞽女は興味本位から男に身体を許し
放逐されてしまう。
さらに北国の寒い冬とひとりぼっちから男を求めるようになる。
途中で一緒になった脱走兵・平太郎という男は
おりんの手引きとして同行するが、おりんを仏様のようだと
いい一緒に寝ようとはしない。
そして寝たら別れが来るという予感を持っており
そんな平太郎におりんは恋心を抱く。

岩下志麻は、終始“目を瞑ったまま“の演技を自然体で見せる熱演で
“生き仏の様な女性”を現出させていますし、助演の奈良岡朋子
横山リエ、樹木希林らの盲人演技と共に、時計の振り子音や風の奔る音等の“目が見えないことで鋭敏化した音や空気感覚”も見事に表現されていて、
“目が見えないのに針に糸を通す方法”等の具体的な工夫にも感心させられる、

行きずりの男を演じたのは、2011年に惜しまれつつ亡くなった
原田芳雄でした。
男もまた逃亡者として果てしなく彷徨い歩くしかない宿命を持つ。
ふたりは惹かれあうが、なぜかおりんの体に触れようともしない。
ふたりが湖で水を浴びるシーンが夢のようだ。
その時男は、夕陽の中で金色に輝くおりんに仏を見たのだ。

終盤になって時を一気に飛ばして、野ざらしとなったおりんの骸を見せるという演出により、彼女の孤独だった生涯が浮かび上がることになっている。
ラストシーンが、忘れ難い余韻を残す。

篠田正浩の日本の風景に対する美意識が如実に現れている
ことに荒れ狂う日本海と吹きすさぶ吹雪
果てしなく広がる美しい雪景色に流れる三味線の調べと
越後弁の瞽女うたなど、宮川一夫カメラの功績も大きい

これによって 
第1回 日本アカデミー賞(1978年)
主演女優賞 岩下志麻 受賞 する
この作品を見るまでは”瞽女”という人たちの本来姿を知りませんでした。
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