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劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のpiのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

何度観ても泣いてしまう。。。

特典目当てで通った部分はあるけれど
定期的にかっこいい煉獄さんが観たくなり何度も足を運んでしまう
特典の配布よりも映画でしか煉獄さんを拝めないことがリピーターが多い理由ではないかと思う、少なくとも自分はそう

煉獄さんが好きなので、ちょっと書き殴る



日野さんも触れていたけど、煉獄さんは猗窩座に敵わないことをわかっていて闘ったと思っている。おそらく、炭治郎たちも認めたくないながらもわかっていた。
結果として自己犠牲であったかもしれない(柱ならば後輩の盾となるのは当然だというセリフはそうとも読み取れる)が、それでも、「柱」としての責務を全うするためだった。これは読切を読むとわかる。煉獄さんはずっと自分ではない誰かの為に戦うような「立派な人」になりたかった。ここからの母上の「立派にできましたよ」のフラグ回収はもう号泣。

それに加えて「俺がここで死ぬことは気にするな」なんて言われたら、炭治郎たちみたいに短時間の関わりであってもみんなボロ泣きするよね。私もいつもここで泣く。
炭治郎がお館様の前で無惨を倒す、と言い切るシーンで柱はみんな失笑してるのにいい心掛けだ!と認めてくれるのは煉獄さんだけだしね(原作ではあくまで煉獄さんの心の声なので炭治郎は知る由もないが)

煉獄さんは「どんな境遇でも歪まない健全な精神の持ち主」だけど、母を亡くした悲しみ、父への複雑な気持ち、弟への同情、炎柱の継承問題など、色々考えていたはず。そして千寿郎は「もっと」可哀想だろう、と言っているから、自分自身も可哀想な立場であることも理解していた。
「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと心を燃やせ、歯を喰いしばって前を向け」、「君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない、共に寄り添って悲しんではくれない」という言葉は自分に言い聞かせてきた言葉でもあるんだろうなあと。対象喪失は自分の一部を失うとても辛いことだし。
読切では煉獄さんは父親が自分に死んでほしくないから遠ざけるのではないかと推察していてその通りなんだけども、煉獄さんが歴代炎柱の手記を読んだことがないあたりも、父子関係が破綻していたんだろうなとも思ったりする。才能を認めてくれない父に反して、認めてくれるのが鬼である猗窩座という対立構造もなかなかに辛い。

そこで心の支えだったのが、母親の言葉で剣術に打ち込むことだったのではないかと。だからこそ、1人の人間としてではなく、「歴代炎柱を輩出している煉獄家長男」、「柱」、「強き者」として、「傷ついた心を叩いて叩いて立ち上がる人」だった。煉獄さんの夢が願望充足的でなく実際昔にあったことであるのも(魘夢が調整してるとはいえ)そう感じさせる。
劇中、煉獄さんは「柱」という言葉を多用するように思う。母親の遺言を胸に最期まで柱として闘って、母親が迎えにきた時にただの煉獄さんに戻れたんだろうなあ。なんとなくあそこの煉獄さんの笑い声は、幼い子供が親に褒めてもらえたような感じがする。
(余談だが私は瑠火さんの言葉はクリスチャン的に思えて仕方ない。そもそもルカという名前、杏寿郎=アンジェロ、炎も教会のような鐘の音から始まる…とあげたらキリがないのだけど。もちろん、原作でお仏壇が描かれているのでクリスチャンでないことは理解している)

煉獄さんは、序盤エキセントリックな人物として描かれているけど、考えても仕方のないことを考えないように色々言葉にしてきた癖があるのかなとか、声が大きいのは鼓膜を破った経験があるからなのかなとか、常に前を見据えているのは父親に柱になったことを認めてもらえなかったことを打ち消すためなのかなとか、その背景を考えてしまう。
実はとても寂しさ、悲しさを燃やしてきた人だから、あんなに無意識領域は燃えているんだと思う。私は石畳の下から燃えているように見える。熱い人だけど、どこか影がある。そんなところにみんな惹かれるのではないだろうか。
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