サカナ

劇場版「鬼滅の刃」無限列車編のサカナのレビュー・感想・評価

3.5
娘に連れられて劇場で一回、先日テレビで二回目を鑑賞しました。

面白いよねー、アクションカッコいいし、煉獄さんの闘いは熱いなーって家族で楽しめました。
作中、煉獄さんを倒した上弦の鬼が逃げるシーンで炭治郎が、
逃げんなーばかー!鬼殺隊は暗闇で、なんたらかんたら、煉獄さんはそれでも、なんたらかんたら、だから煉獄さんはお前なんかに負けてなーい!
て、それまでの戦闘シーンを、まるっと言語化して説明してくれていました。

わかりやすい。

小さな子から付き添いの親御さんまで誰もが感動できる仕組み。カラスも泣いちゃうよ。

私、この映画を観て、特にこのシーンを見ていて感じたことがあります。
ちょっと長くて申し訳ありませんが、よかったらご一読下さい。

とかく最近の世の中、正しい事を声高に叫び、共感を生む仕組みがよくよく見られるように思います。

この作品ではその共感を上手に引き出し、成功したものだと感じました。

観ている側にとっても共通の敵を作り、対する主人公側は鉄槌を下し、その上言葉で敵を圧倒することで、観る側にカタルシスを与える構図
これは気持ちいい、感動する、泣いちゃう。

でもね、この構図を成立させるためには、2つの要素が必要になると思うのです。

一つは絶対的で理不尽な程の暴力、脅威的な不安など、完全な悪(=鬼の象徴)が現実に存在すること。
これは普通そうそう存在しないと思うけど、現在を生きる人々は、世界に感じる悪が数多存在すると思われ、悪の象徴は容易に成立するのでしょう。例えば、疫病、災害、争乱または貧困、もしかしたらもっと身近な悪意でもいい。

そして、二つ目、絶対的な悪を糾弾する主人公炭治郎は、誰よりも不幸で、傷つき、深い悲しみを背負い、そして誰よりも圧倒的に正しくなければなりません。
誰よりも不幸で厳しい境遇にある彼の言葉は真実味を帯び、誰をも納得させる力を持ちます。
そして圧倒的に正しい事、それは誰からも非難されない、全方位的な正しさです。時に彼は敵である鬼の死ぬ間にあって、慈しみの言葉すらかけるのです。

ここまでくると、もはや聖人の域です。
物語上、こんなにも大きなものを背負わされた主人公を私は知りません。
現実には存在し得ないでしょう。
なんて息苦しい生き方なんだろう?
そうか、それで呼吸の仕方を鍛錬したりしてたのか?

鬼滅の刃という作品が広く世に受け入れられ、評価された理由って、
このわかりやすさの構図と、その構図を成立させる社会性、非現実なヒロイズムにあるのではないかと思います。

そしてこの作品を諸手をあげて受け入れた現実社会、世界とは、、。うーん、皆大変な世界を生きている。

娘が夢中になっている傍らで、父はそんな事を考えるのでした。

私最近、ロボコにハマりました。
ロボコは鬼滅の刃のカウンターとして作用して欲しい。そう思っています。
サカナ

サカナ