ヨーク

ブータン 山の教室のヨークのレビュー・感想・評価

ブータン 山の教室(2019年製作の映画)
4.2
ブータン映画って多分初めて観たと思うんだけど面白かったですね。面白いというか、想像していたよりもずっと観やすい映画だったな。独特の世界観すぎて馴染めないとかブータンの文化的なあれこれを知らないと楽しめないとかアート映画すぎて間口が狭いということもなく、お話的にも映像表現的にも良い意味で普通の娯楽映画っぽくて楽しめました。ブータンといっても国王夫妻が美男美女なことと国旗が格好いいことと国民の幸福度が高いとかいう程度のことしか知らない俺でもすっと映画に入っていけたので多分誰が観ても大丈夫じゃないだろうか。
お話も割とシンプルで主人公のウゲンは首都ティンプーで暮らす若い教師だが海外(オーストラリア)に行ってミュージシャンになるという夢があり教職はそれまでのつなぎ程度にしか考えていなかった。早いとこオーストラリアに移住するつもりだったんだけどそんな折ルナナ村というブータンの僻地にある学校へ赴任するように異動の命が下りる。そのルナナ村での主人公の数か月から半年くらいの教師生活を描いたお話になります。
俺が本作の予告編を見てまず感じたのは『アルプスの少女ハイジ』を都会側の目線から描いてその舞台をブータンにしたような感じなのかなということだった。もっと言えばロッテンマイヤーさんを若くて将来の夢がある男にしてその外部からの視点で都会と田舎のギャップを描きつつその経験が主人公に変化をもたらすというお話だと思っていたんですよ。ロッテンマイヤーさんがアルムの山を訪れその大自然に感銘を受ける、みたいな。結果としては俺のその予想はまぁそこまで的外れではなかったのだが、しかし本作はもっと深度が深いというか、有り体に言えば思っていたよりもずっとすげぇ映像が随所に合って割と衝撃的な映画だったんですよ。
何が凄いかっていうと舞台となるルナナ村の田舎具合が凄い。凄まじい。ブータンという国自体が総人口72万人で大体の日本人の感覚からすれば都会的なイメージはないであろう。良く言えば自然豊かな国だがハッキリ言えば田舎臭い国とも言えよう。だが本作の舞台のルナナ村はそんなブータンの中でも田舎の村でありブータン人をして「何もない秘境」と言わしめるような村なのだ。ちなみに村の人口は56人で標高は4800メートル。発電施設から送電される電気はなく小規模な太陽光発電の設備があるのみ。極めつけに首都のティンプーからルナナ村までは片道8日間という道のりなのだ。8日間ってどういうことだよ、と思うが事実そうなのだから仕方ない。ルナナ村のある山の中腹まではバスで行けるようなのだがそこからは約一週間ほど徒歩で山道を登り野営をしながら進むらしい。衝撃的というのはその辺の環境のこともなんだが、凄くないですか。ひたすら山道を進む8日間ってもうそれだけで一本映画撮れるじゃん、と思ってしまう。8日間とか金さえあれば世界一周できるくらいの期間なのではないだろうか、したことないから知らないけど。とにかく俺の想像を遥かに超える辺境が舞台だったことがまず衝撃的。ちなみに本作は舞台となる場所の名前と標高と人口がテロップで表示されるんだが、ルナナ村までの途中の村で「人口3人」って表示されて吹き出してしまった。それ村じゃないじゃん! 山小屋に住んでる一家じゃん! と思ったのは俺だけではあるまい。あれはブータンジョークだったのだろうか。
あとはその8日間の旅の先にあるルナナ村の映像も凄い。山も空も凄いのだが、一番美しいと思ったのは人の顔でしたね。本作はメインどころの登場人物を除いてルナナ村の登場人物は実際の村人らしいんですよ。つまり役者ではなく素の村人たちです。もちろん脚本のある劇映画だしその脚本に合わせて演出もされているとは思うのだが映画館はおろかテレビもない村の人たちの仕草や表情の一つ一つが物語よりも雄弁に本作のテーマを語っていてそれがもう俺の貧弱な語彙では、凄い、としか言いようがなかったですね。凄いし、素晴らしい。
生まれてこの方村を出たことのない村人も結構いるみたいで、その辺はちょっと大げさに言ってるんじゃないのと思わなくもないのだが、こと子供たちに関しては片道8日の山道を行くのは大変だろうし本当にルナナ村のことしか知らないのかもなと思わされる。そんな人生で一度も村を出たことのない子供たちの中の一人が「自動車に乗るのが夢」と言うのだが、もうそこまでくると単なる辺境の地というよりも異世界なんじゃないのかとさえ思えてくる。というか正直、異界譚というか神話の世界に紛れ込んだような雰囲気のある映画なのである。
主人公のウゲンはそんな俗世感ゼロの子供たちに勉強を教えるわけだが、子供たちのリアクションとかが凄いんですよね。上でも書いたように子役とかじゃないからほとんど演技じゃないと思うんだけど、本当に楽しそうなの。おそらくブータンでのあいうえおとか、英語のABCDEFG…を暗唱しているだけで超楽しそう。小学校低学年くらいの算数の問題を解いてるだけでも楽しそう。何がそんなに楽しいんだよって思うけれど、それはもう、ただ学ぶことが楽しいんだろうなとしか思えない。その子供たちの表情が凄い。
そんでお話的にはそんな子供たちや村人たちに感化されて、ウゲン青年が徐々に変化していくというものなんだがそこも凄く良かったですね。本作を観るまでは何となくよくあるような田舎賛美で保守的な映画だと思ってたんですよ。海外に出ようと思ってる青年が田舎の純朴な人たちと触れ合って心境の変化が生まれて自国の素晴らしさに気付くみたいな、そういう素朴な保守性を描く映画かと思っていたんだけど実際はそうでもなくて結構ドライで淡々とした展開になるのが意外でしたね。ネタバレになるので詳しくは書かないが、俺はあのラスト超好きですよ。上で本作は神話的な異界譚と書いたが、まさに異なる世界を経験してその経験を現実にどうフィードバックさせるかということが描かれているようでラストシーンはグッときましたね。
あと、多分ルナナ村の子供たちにとってはこれ映画とかじゃなくて本当のことだったと思うんですよね。映画の撮影に協力しているっていうよりも本当に外部から教師がやって来て勉強を見てもらうっていう経験そのものだったんじゃないだろうかと思う。だって彼らは映画とか観たこともないんだしそんなの知るかよって感じじゃないですかね。そんな子供たちの顔が凄く良いのですね。僻地の学校ものといえば『二十四の瞳』を思い出すが本作の子供たちの瞳はしばらく忘れることはできないな、と思う。
映像以外では本作の重要なテーマでもあるヤクの歌も素晴らしかったですねぇ。映画冒頭とラストのヤクの歌の対比が効いていていいです。
神話的荘厳ささえある異界との往還と、それを経てその異界も現実なのであると感じられる自身の世界観の広がりが本作鑑賞後の爽やかさを生んでいて『ブータン 山の教室』というタイトル通りに山に色々と教わる映画なのでした。山道の途中の小屋の家族の雰囲気も凄く良かったなぁ。
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