Yukiko

カサブランカのYukikoのレビュー・感想・評価

カサブランカ(1942年製作の映画)
3.8
2021年1月24日
『カサブランカ』  1942年製作
製作、ワーナー・ブラザーズ
監督、マイケル・カーティス。
『ホワイト・クリスマス』の曲が主題歌の、同名の映画の
監督さんだ。主演はビング・クロスビー&ダニー・ケイ。

1941年12月、ヴィシー政権下のフランス領モロッコ。
カサブランカの街はドイツ政権下のヨーロッパから
逃げて来た人達で溢れる。
その多くはアメリカへの亡命を画策している。
リック(ハンフリー・ボガート)はカフェ・アメリカンという
酒場を経営している。
その酒場に、パリの街で別れた以前の恋人イルザ
(イングリッド・バーグマン)が夫のラズロを連れてやって
来る。
二人ともアメリカへ渡る為に、ヴィシー政権が発行した
通行証が欲しい。
通行証を持っているリックに、迫るイルザ。


第16回アカデミー賞最優秀作品賞受賞。

「君の瞳に乾杯」ですか・・・・   キザ。。


結局のところ、イルザが好きなのは、夫ラズロと思う。
リックに銃を向けてもいい!んだものね。
いくら撃つことはできなくても、銃を向けて撃とうと一瞬
でも思ったところに、本当の気持ちが溢れている。
ラザロは夫だし、その夫がしている活動は支えたい、
一緒にアメリカに行きたいと思っているイルザなのよね
・・・と思ったが。

恋愛映画だけれど、私は映画の中で語られるヴィシー
政権という言葉が初めて聞くものだから、そちらに
興味をもった。

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<ヴィシー政権>  Wikipediaより抜粋
1940年~1944年。
第二次世界大戦下、フランスはドイツ軍の侵攻で敗北した。
副首相だったフィリップ・ペタン元帥が首相となり、ドイツと
イタリアに休戦を申し入れた。

フランス共和国という呼び名から変わって、フランス国と
呼称し、フランス中部の街、ヴィシーに首都を置いた。
(パリからまっすぐ南下、現フランスのちょうど真ん中
あたりに位置する)
 ⇒ヴィシー政府、ヴィシー体制、ヴィシー・フランス
  ともいう。

1940年6月23日、イギリスはヴィシー政府を否認する声明を
行う。
が、他の主要国はヴィシー政府を承認する態度をとった。

ペタンの部下、シャルル・ド・ゴール准将はロンドンに
亡命し、「自由フランス」を結成した。

ヴィシー政府成立後、苛烈な対独協力により、市民の反感を
招いて、1940年秋頃からはデモやレジスタンスの活動が
高まった。

1942年11月、ドイツによる全土占領。
これにより、分化していたレジスタンス運動が統合され、
活発化する。
「自由フランス」に参加、支持する組織も多くなる。

1944年、連合軍がフランスに上陸すると、ドイツ軍は追い払
われた。
8月25日、パリを守備していたドイツ軍は降伏し、
ド・ゴールのフランス共和国臨時政府が帰国した。
8月27日、ド・ゴールはペタンが送った使者との面会も
拒絶した。 
ヴィシー政府の閣僚はドイツによって拘束された。


<ヴィシーを首都と定めた理由>
1940年6月22日に署名された停戦条約の後、この区域は
ドイツに占領されず、フランス国の名前で、7月1日に
ヴィシーを首都と定めた。
比較的パリに近く、温泉地である為ホテルの収容人数が多く、
臨時の官庁及び官舎を置くのに都合がよかった為である。
ホテルの収容人数は国内第2位であった。
その上、当時では超近代的な電話交換機があり、電話を
介して全世界と連絡を取ることが可能であった。

7月1日、政府は多くのホテルの所有権を得た。
国会議員600人はヴィシーでの会議や評議会に参加をした。
7月9・10日、オペラハウスにて国会議員は投票を行い、
民主政体は廃止され、ヴィシー政権がこれに替わった。
600人中、80人の議員が反対した。
ここから4年間、ヴィシー政権は存続する。

<独立>
第二次世界大戦後の1956年にモロッコがフランスから独立し、
フランスはカサブランカから撤退した。
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