スーダンの独立は56年だが、やはりこの国でも英国の分断統治が諸悪の根源、端緒となっている。
イスラムvs非イスラムの対立が引き金になる形で、55年〜72年、83年〜2005年、2003年から続くダルフール紛争と果てしない内戦、動乱に苛まれるスーダン。
その中で文化の担い手たる映画人たちは、ある時は英国の、ある時はドイツの、そしてある時はソ連の映像表現を、それぞれの国の「政治思想」とともに「学んで」いく。
彼らが数十年前に映画を学んだ際に「身につけさせられた」英語やロシア語を使って映画を語る時、朝鮮半島や台湾の年老いた人たちが、未だに日本語を話すことができ、理解さえしてしまえる哀しみとオーバーラップして、なんとも辛い気持ちになった。
アラビア語やイスラーム、場合によってはアニミズムをも含んだ豊穣な文化を持つスーダンの人たちにソ連映画の社会主義リアリズムの影響が紛れもなく感じられたのはどうにもやりきれない。
ただ、徹底して踏みにじられた歴史を持つ人に特有の、緩やかな反骨の自我が四人の老人の人格を高貴なものにしていて、それだからこの映画、この国は素晴らしいと思った。