WOWOWで放映してたので、当時ほかのSNS書いてた感想もサルベージして後半に追記。
なんか色々衝撃でした。
あのシーンで、このシーンで、泣きながら観てた。
凪沙と一果、足りないものを抱えながら出会った2人がバレエを通して少しずつお互いの距離を縮めてくストーリー。
お互い傷だらけで不器用だけど、ちゃんと心の絆は育ってた。
一果とりん、この2人もまたそう。
後半の展開は、あまりに残酷な現実がそこにあって、ちょっと観ていて辛くなる。
でもそれは、リアルにそこに凪沙と一果がいたからなんだよね。
トランスジェンダーとか、育児放棄とか、この映画ではその理由に名前はつけられているけれども、これって何かが足りない、得られないって、充足感の不足を感じる誰しもが共感できるところの心の揺れが描かれてるから、痛みのリアルさがあるんだと思う。
どこかで凪沙とりんに出会って欲しかったな。
同じ一果に希望をたくす仲間に出会って欲しかった。
境遇やいる場所まで同じだと、傷の舐め合いになるけれど、全く違う者同士の共感ってちょっと違うから。
そうしたら、少しは寂しさと閉塞感に、小さな風穴があいたかもしれないって、映画見終わってからずっと、そんなことを考えてます。
(追記)
あのりんちゃんていう同級生の女の子もとても気になった。
持たざる者と持つ者の差はあれど、同じ寂しさと孤独と虚無感を持つ少女2人の対比はあるけど、私は凪沙と彼女を重ねずにはいられない。
持っているからこそ、それがすぐに失われる偽物であることを知り、失っていく絶望しかなかったりんと、生まれつき与えられなかった凪沙、「希望に手を伸ばすことすらできなかった」2人は、やはり同じコインの表裏のように見える。
物語を通して一果はずっと「与えられ」「希望を託される」存在なんだよね。
バレエの先生もそうだし、奪われる描写はなくて、与えられる描写。
でもりんは、壊れたり失われてく描写しかなくて与えられても心のない偽物ばかり。
唯一、神様に与えられた存在が一果だったっていうか。
りんと凪沙が知り合ってたら、話すことがあったなら、何か通じ合うものがあったんだろうかと考えちゃう。
一果っていう共通の希望を持って、お互いに共感する仲間が出来たのかなとか。
最後の押し返す波が2人の共同作業みたいに思えて仕方なかった。