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バビロンのしののレビュー・感想・評価

バビロン(2021年製作の映画)
3.5
リサーチに基づいているとはいえ、敢えて過剰にコミカルなカリカチュアライズでハリウッドの狂乱っぷりを描いている。パーティーの場面に限らず、映画制作、映画人の生き様そのものがパーティーだったのだと。その「解釈」は確かに面白かったが、これが映画史でございみたいに言われると困ってしまう。

あのラストについては、そりゃ一瞬何これ!? とは思ったものの、そんなに有り難がるものではないなと一瞬で冷静になってしまった。そもそも、「こういうことすることでこう言いたい」が先行しすぎではないかと思う。今回も『ラ・ラ・ランド』の「5年後」に相当する無理くりなキャラクターの動かしかたは健在で、これによりあの場面でキャラクターがする体験や抱く心情にこちらが同期できないのは問題ではないか。見せられているもののインパクトでやられる人はいるだろうが、物語とは分離してしまっている。それって果たして「ああ映画っていいな」なのだろうか。

そして「こういうことする」こと自体の是非に関していうと、自分はちょっと独善的すぎやしないかと思った。それをやるためにキャラクターが蔑ろにされているので身も蓋もないチャゼルの自己陶酔に映ってしまう。というか、それを思いついた人は沢山いたけど敬意があるからこそ敢えてやらなかっただけでは? とも思う。

となると、確かに『ラ・ラ・ランド』と似た構造ではあるが、上記の意味でアプローチとしては大きく異なっているといえる。あちらは視野狭窄的な2人の物語がラストで「夢を見ていた」という実感に繋がり普遍化される構成だった。独善的な世界観に意味があったのだ。一方、こちらは視野狭窄的なハリウッド群像劇をそのままラストでも「これぞ映画史!」と主張してしまう。つまりずっとチャゼル史観で閉じてる話なのに、あたかも「映画(史)ってこうでしょ?」と色んなものを巻き込んでくるから、強引さというか独善を感じてしまうのだ。まだ本作だけに閉じていれば良かったのだが……。デタラメの中にある切実さ、みたいなものを感じたかったのにそうさせてくれない。

一方で、この自己陶酔にシンクロする気持ちも分かる。映画産業について台詞で分かりやすくアツいことを述べてくれたり、監督十八番のもはや快感とすら言える追い詰め描写で分かりやすくハイになれたり、ラストなどまさに「分かりやすいインパクト」の極致なので、確かにそこに陶酔はし得る。今回はトランペットの口を正面から撮るやつ3回くらいやってたので笑ってしまった。本作の過剰っぷりが伺えるし、完全に「いつもより余計に回しております」状態。ただ、幼稚さに意味があった過去作に比べ、単に幼稚になってないかとも思うのだ。

とはいえ、他の作家と比較すると非常に興味深い。この監督には前から新海誠とのシンクロ性を感じていたのだが、本作でその認識が強化された。観客とどんな思い出があるかもしれない歴史の一部を切り抜いて「大きなものの一部」にしてしまうことの居心地悪さ。そしてそういう批判が出てくることも百も承知で、「しかし自分がやらねば」という使命感で凄惨な歴史をファンタジー史観に回収して癒しを与えようとするあたり、まさにいま同時に上映されている『すずめの戸締まり』と通ずる気がする。

さらに言えば、映画が好きだとか言っといてメタ構造でしかその対象に近づけない屈折した感じや、「それもこれもあえてやってるんですよ」みたいな予防線を張りまくる感じなど、完全に藤本タツキの『さよなら絵梨』と同じ精神性も感じたのだった。

斯様に、自分の中でチャゼルと新海誠と藤本タツキは薄くしかし確実に繋がっている。正直、お得意の追い詰め描写をコメディとして使いまくる前半(と終盤の転調パート)は新境地として楽しかったので、これならヘタに映画史など背負わずに、そういうオモシロ成分だけで見せて欲しかったところ。その狂いっぷりを反転させて真面目な「映画愛(憎)」に繋げようとすると途端に拗れ出すので。

その意味では、この監督はライアン・ジョンソンのように、「背負ってしまった」大作でコケたあとに自分なりの昇華のさせ方にたどり着く道があるかもしれない……なんてことを思ったのだった。

※感想ラジオ
【ネタバレ感想】狂ったラストに賛否両論?『バビロン』は何をやらかしたか https://youtu.be/-lfGW0XBdkI
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