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バビロンのKtoのレビュー・感想・評価

バビロン(2021年製作の映画)
3.9
【ひとこと説明】
1920年代後半から30年代前半にかけて、サイレントからトーキーへ以降する過渡期のハリウッドを描いた映画。準・群像劇。

ハリウッドの”エリート”的存在となったデミアン・チャゼル監督が、壮大なスケール(と予算)を携えてカムバした大作。

【超・個人的感想】
●豪華絢爛で感覚的ななスペクタクル映画
パンによるトランジション、手持ちカメラ、長回しが躍動感を出し、ミュージカル的演出で感情を操作してくる感じがla la landと地続きだった。openingのパーティシーンは、la la landの高速道路のダンスシーンに相当し、世界観の提示・登場人物や時代の背景説明を同時に担っている。
非現実的な高彩度、感情に即した照明色(パーティの赤、フェイを解雇する時の緑、悲しい時の青)がとても美しい。

どのシーンを切り取っても絵になる、美しい映像が続く。

●前半のコメディタッチが最高。
象の糞からの女優の聖水プレイ、暑すぎて死ぬスタッフ、槍に刺さって死んだ俳優を「酒が問題だ」というスタッフ、イライラしてエキストラをクビにする監督、「ストライキの対応をしたことはあるか?」「はい」

コメディとミュージカルタッチの前半は最高に相性が良くて、観ていて気持ちよかった。ちょっと下品な”feel good movie”

●観客に一切の雑念を抱かせない極めて単純明快なテーマ
監督が提示したかった価値観は主に下記の通りだろう。
①「映画賛歌」:時代を経ても再生される、現実から離れられる、夢を与えられる、金持ちの老人だけでなく町工場の若者もふらっと観れるetc
間違いなく映画はそういった側面があり、老若男女問わず皆を繋ぐポップカルチャーの王者として君臨してきた。その一方で演劇を金持ち老人のスノッビーな趣味だと言い放たせるあたりに、チャゼル監督の刺々しい(かつコントロバーシャルな)性格を感じた。

②「盛者必衰」「文化の進化」:サイレントからトーキーへ。声が”dying pig”みたいだと罵られ、落ち込むネリー。サイレントで活躍してもトーキーで活躍できずfade outした俳優はやはりいるらしい…。「進歩を妨げてはいけない」と言いながら、新形式への慣れなさや旧式への懐かしさを隠しきれないジャック。

それに対する、エリノアの指摘が非常に鋭い。「ゴキブリは暗闇にいて、ずっと生きるの。だけど、あなたはスポットライトを浴びた。」と。概念としての”スター”を肯定も否定もせず、ただそう表現する巧みさ。あのセリフにチャゼル監督の攻撃的な意図があったとすれば、戦場にも登らない外野は無傷なゴキブリ同然だ、という批評家やゴシップライターへのディスなのかもしれない。考えすぎかもしれないけど。

③「過剰な世界と人間性」:ネリーもジャックも生来孤独で、寂しさを紛らわすようにアルコールやドラッグ、それと同列に地位や名声を愛し依存していた。一方でフェイやシドニーといった、スキルのある人物はそういった儚い存在に頼りきらず、地位を下っても安定しているように見えた。”モラル”を盾に同性愛者としてクビにされるフェイや、”より黒く見えるように”と黒の塗料を渡されるシドニーだったり、当時のマイノリティの扱いも苦しい。プロデューサーとしてその役割を負うマニーもしんどかっただろうな…。自身もメキシコ系だし(当時のハリウッドはヨーロッパへの憧れが高まっていた、ということがわかるシーンもあるけど、そこで「スペインのマドリード出身です」と言っていたのも、出自にコンプレックスがある証拠だろう)

●主俳優が魅力的過ぎる。
マーゴットロビーの魅力が爆発している。ドラッグとアルコールまみれで、軽率で、下品で、でもスター性と愛嬌は抜群で、決して見捨てることはできない存在。スターダムを登っていくけど、精神的不安定さから自滅してしまう儚さ。守ってあげたいし、一緒にいたい、でもすぐにどっか行ってしまうのでこっちも精神的に不安定になる、っていうズルズルと退廃的な恋愛に引き摺り込んでくるタイプだよね。最高。

プロポーズのシーンが本当に良かった。ギャンブルで負けたあたりからの、不自然なまでのコテコテな急展開(トビーマグワイアーのマフィアとか)はここのカタルシスのための布石だったのか…。フリーガイの告白シーンと1,2を争う最高のプロポーズシーンだった…。このためだけにもう一回観てもいい。

●常に賛否両論を巻き起こす挑戦的なスタイルは健在
今回も手放しには褒めるのは、難しいと感じた。

セッションではジャズマンやドラマーの反感を買い、ララランドでは”現代の軟派なジャズ”としてまるでrobert glasperを再現したような黒人音楽家を登場させて音楽ファンの怒りを買ったりしている。
歴史考証自体は非常に正確で、勉強家で優秀な監督なのは間違いないが、割と独断と偏見に基づいた価値観を、惜しげも無く披露する癖があると感じていた。

鳴り物入りで莫大な予算をかけたこの映画が興行収入でも批評面でも、かなりコケているらしいというのは、あまり驚かない。

スピルバーグのフェイブルマンズ、タランティーノのonce upon a time in hollywood、PTAのリコリスピザ…など、脂の乗った名監督による、私的でノスタルジーな映画が続々と発表されていて、今回もそういう感じかなと予想していたけど、全然違かった。
(自分が生まれていない時代の)偉大な先人達へのリスペクトを示しつつ、彼らの歴史から普遍的なドラマを抽出するという”歴史家的”態度だった。
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