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(500)日のサマーのKtoのレビュー・感想・評価

(500)日のサマー(2009年製作の映画)
3.8
恋に夢をみる文化系男子と、運命を信じないドライで自立した女子が絶望的に噛み合わない恋愛を経て、最終的には脱皮し、鑑賞後は謎の清涼感に包まれる映画。

joy division Tシャツを愛用するトムは、恋愛に未熟なサブカル男子の弱いところを詰め込んだ様なキャラクター。the smithが好きだと言われるだけで、運命の相手であると確信する様な、「趣味が合うこと=恋愛がうまくいくこと」と数多の先人が踏んできた苦い地雷を果敢に踏んでいく。「花束みたいな恋をした」の馴れ初めの、見ていられない気恥ずかしさとの類似性。

そんな「イタいサブカル男子」に冷静に物申す妹(クロエモレッツ)が最高。町山さんの映画ムダ話でも解説にあったけど、これは「ライ麦畑で捕まえて」で、大人になりきれない主人公に物申す妹の像を真似しているという説があるらしい。

一方で、黒髪でスカートを履いた、いかにもサブカル男子にモテそうなスタイルのサマーは、期待されるマニックピクシードリームガール的な性格とは反対にドライなキャラとなっている。運命なんて信じないし、男のリードも待たないし、愛の束縛は自由を妨げるので避けている。映画を貫徹するサマーのこのギャップが、一見甘酸っぱいお洒落青春ムービーに見えるこの映画の、不協和音の原因であり、ユニークさであると感じた。

そんな彼女が「卒業」に痛く感動し、運命論的な恋愛への憧れを抱く様になり、別れを決心するというのも皮肉が効いていて面白い。一方で、もともとゆるふわな恋愛観を持っていたトムが、サマーを経て、現実的な視点と行動力を持ち始める様になるのも良い。
恋愛は、必ずしも二人の人生を好転させるものではないけど、それぞれが何かを学ぶことに繋がれば十分なのではないかと思う。

アニーホールの画面2分割を引用したり、ベルイマンを複数(ペルソナ、第七の封印)を引用したりと、映画史論的な文脈でも面白かった。
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