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三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のmajiziのレビュー・感想・評価

4.0
1960年代という世界が革命に揺れていた時代、日本も御多分に洩れずインテリは左翼化。

というよりも、左翼こそがインテリなのだという自負があったのでしょう。


学生運動は安田講堂事件で多数の逮捕者が出て下火になっていたのか、東大全共闘が最も忌み嫌う思想を誇示してやまない時代の寵児、三島由紀夫を討論会に招くことは、起死回生の悪あがきだったのかもしれません。


子供時代に戦争を体験し、文学という表現を手に入れ成功し、一流と言われるあらゆる業界の人間と交流してきた三島が放った言葉


「わたくしは、諸君の情熱だけは信じる」


ここには真実があったと思います。

政府によって弾圧され、世間には冷笑され無視されてきた学生たち。

その声を真正面から聞こうとした大人は、皮肉なことに三島だけだったのかもしれません。


作品として討論は全てが流れたわけではなく、当時その場にいた学生や楯の会メンバー、有識者などのインタビューが入るため少し全容が掴みにくいです。

そして直接三島と面識もない人の意見や考えは余計なことだと思いました。


討論に関して学生は、観念論の言葉遊びに徹して三島を否定することに目的があり、仲間内から抗議が出るほど薄くてつまらないです。


しかし三島が話し出すと学生たちは良くも悪くも夢中になって聞いている空気が流れます。


新潮社の人間を呼んでいた三島は、演出力にも長けていました。そのとき撮影された写真は実に雄弁です。


『からっ風野郎』ではど素人演技でボロクソに評価された三島ですが、いやいやどうして、あのときの経験は見事に生きています。

ヤクザを演じた三島は全くかっこよくありませんでしたが、討論会での三島由紀夫としての在り方は完璧と言ってもいいぐらいです。


憂国を突き詰め、自分の死をもって生を貫いた三島が後世に名前を残すことになったように、「東大全共闘」が三島の一部として取り込まれた言葉になっていることに時代を感じます。

そしてそのことに未だに我慢ならないのが、あそこで踏ん張っていた「敗北」した学生たちなんでしょう。


貴重なフィルムはカットせず流してもらえれば、尚良かったと思いました。
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