大写しになるトマトのカットあたりでこの映画は間違いないと思った。
それに象徴されるように、何を映して(あるいは何を映さないで)何を語るのか、そしてどんな映画にするのか、という点においてとてもスマート。(流石に1本目でsearchを撮っただけある)
後半の展開や真相については、多くの人や批評家筋までも「ありがちで既視感のある展開」と言っていたのを多く目にしたけど、この場合展開云々よりもそこで語られるナラティブが現代性を帯びているので(今語るべきこと、という意味で)、その一点で貶すのはどうかと思った。
93分という語り口もすばらしいのだけど、逃走劇、追跡劇という意味ではもっともっと動いてるシーンが見たかった。動けない、という制約があるだけにそこをどういう風にしてスリルのあるものにできるかについてはもっと手法があるような気もした。例えばクロエが工学にも長けていて日々作っていたであろうあの装置の使い所とか、小型エレベーターの使い方とか。