KnightsofOdessa

ベルリン・アレクサンダープラッツのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

3.0
[フランツはまともな人間になりたかった]

アルフレート・デーブリーンによる怪物的な大都市小説『ベルリン・アレクサンダー広場』の現代版アレンジとして、今年のベルリン映画祭で話題をかっさらったコンペ選出作品。嫌でも15時間のファスビンダー版がチラつくが、本作品も3時間あるので、取り敢えず頑張って全て描こうとする監督の姿勢は伝わってくる。戦間期の混乱するベルリンを下層社会の住民の目線で描いていた原作からの大きな改変は、舞台を現代のベルリンに移した点、そして主人公フランツ・ビーバーコップをギニア・ビサウからの不法移民フランシスに変更した点、の二点が挙げられる。前者に関しては原作の根幹をなす部分が削られたことを意味すると思うのだが、単に舞台が現代になっただけであり、アフリカ系移民が多いという描写があるだけで社会批評性があるわけではない。2010年代はアフリカ系ギャングとアラブ系ギャングの抗争真っ只中だったらしく、かなりのドンパチがあったようだが、ごっそり割愛されている。ただ、全体的な印象として都市の空気や同時代的な記録として存在させようとしているわけではなく、ラインホルト-フランツ-ミーツェの三角関係だけを抜き出して掘り下げようとしているので、一応『ベルリン・アレクサンダー広場』である必要性も、舞台を現代にする必要性もありはするのだろう。逆にそのせいで立体感を失って安っぽくなってしまっているのだが。また、フランシスを演じる Welket Bungué の落ち着いた知的な雰囲気は、ラインホルトとの共依存に盲目的になっていく役柄と噛み合っているように思えない。

後者は後者で、ある程度の現代性を作品に付与することに貢献している。特に英語とポルトガル語(ビサウの母語)しか使えないフランシスが、ドイツに染まっていくことで、ドイツ語を話すフランツとして生まれ変わっていく過程を連続的に見せていくのは強烈。浜辺に流れ着いた="新たに生まれた"瞬間から始まる本作品において、彼の欧米人としてのアイデンティティ獲得と凶暴性の覚醒を繋げる展開は、少々戯画的すぎる面もあるが、興味深い視点だとは思う。また、彼の故郷を思わせるペイントした雄牛や、密航船沈没で亡くなった沈みゆく恋人イダの幻影が象徴的に幾度となく登場し、見知らぬ地で常に強くあろうとした男の心象風景と消せない罪を代弁させていた。そして、彼が新天地で天涯孤独であることは、ラインホルトへの依存度を違和感なく高めることにも繋がっているのだが、根本的に"(不法)移民"であることは内面を描く際にしか使用されず、対外的にはただのレッテルでしかなかったのは残念。彼に対する差別、或いは彼の手下や同僚となるアフリカ系移民への差別はほぼ言及されないのが非常に不思議で、なぜ主人公をそういう設定にしたのか理解できない。
また、本作品ではエヴァもナイジェリア人という設定であり、ドイツ語で話し考える彼女が、肌は黒くても思考が白人になっていくというアイデンティティの揺らぎを語るシーンはハイライトの一つと言えるだろう。しかし、彼女を含めた女性陣の描き方も、基本的にはミゾジニックなラインホルトの不運なお相手という程度で、特に現代版としてのアップデートは存在しない。

耳障りな呼吸音を混ぜ込んだダーシャ・ダウエンハウエルのスコア、イェラ・ハーゼによる詩的なナレーションなど、特筆に値する要素も含みながら、現代版『ベルリン・アレクサンダー広場』という高い期待度を超えられなかった作品と言えるだろう。三角関係の導入も原作知識ありきなので、最早打つ手なし…解散!
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