かめの

リトル・ガールのかめののレビュー・感想・評価

リトル・ガール(2020年製作の映画)
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最初、母親の話を聞く場面、聞き手の男性が妊娠中のこと、その時女の子を望んだかを質問したことに潜在的な悪意を感じた。

母親は、もしかしたら自分が妊娠中、女の子を強く望んだせいじゃないか、と答えていたけれど、理解がない人々から浴びせ続けられた言葉によってそう考えるようになったんじゃないかと思う。

病院の先生が否定していたように、性別違和の原因は分かっていないけれど、現段階で母親の思考が影響を与えることはないといわれている。

サシャのように身体が男の子でも、心が女の子がいる、そして女の子に生まれて性自認は女の子でも、いわゆる「女の子らしさ」に嫌悪感を持つ人もいる。上記のことを同様に扱うべきでないという人もいるけれど、言いたいのは全てがジャンルのように分けられるものではないということ。
そして、そうした葛藤を抱え続けたまま生きることの辛さは容易に想像できるものではない。

身体と心が一致しないということに親が絶望したり、悲しんだりするのは、まずその子が苦しむであろう未来を考えるから。でも、だからこそ、サシャの家族は出来る限りサシャがありのまま生きられるよう、闘い続ける。

正直、最初は美しい撮り方や音楽の選び方に疑問を感じたけど、よくよく見ると、母親と父親の間に学校に対する感情の齟齬があったり、家族全体の関係性も描かれていることがわかる。

怒りを増大させていく父親に対し、一番サシャと一緒にいて、学校に働きかけている母親は冷静だ。「あなたは教師を屈服させたいの?」と、むやみに学校側を責め立てることはしない。内心は別だが、それが子どもに与える影響や意味をきちんと考えているのだろう。

そして、サシャの兄に自分たちの行動を怒っているか尋ねる場面では、子どもの健気さに胸が痛むとともに、「バカとは闘わないと」と相手を「バカ」と言ってしまう子どもへのわずかな戸惑いと、しかし父親に対するように「バカ」と言うべきではないと注意することは出来ない。したくない。という母親の葛藤が強く感じられた。

この当時ですら、ヨーロッパでは性別違和に対する正しい認識が広まっていると思っていたけど、様々な国籍の人がいて、様々な価値観のある人がいて、とりわけ差別が生まれやすい環境だからこそ、声高に差別に対する問題が取り上げられるだけで、同時に人々の認識も高まっているかと言うと、それはまた別の話なのかも。
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