アオラレ?
サトラレ?
ダジャレみたいなタイトルとは裏腹に、怖い映画です。
自分にも起こるかもしれない、日常に潜む恐怖。
凄みを増すために(?)大幅に増量したラッセル・クロウが、怒り狂うサイコ野郎を怪演。
しかし…
もしもこの母親が寝坊しなければ…
フリーウェイに乗らなければ…
イラっとしてクラクションを鳴らさなければ…
すぐに大人しく謝っていれば…
えっ、アオリ男に便乗して得意客に仕返し…?
そう、「アオラレ」る側の母親もなかなかのくせもの。
このレイチェルへの共感度の低さは、「自身の言動も省みよ」と観客に促すための、あえての設定なのか…?
そして、最初気づかなかったけど、アオリ男が青信号で進まなかったのには、ちゃんと理由があったんですね。
この、わずか一瞬のシーンのあるなしで、男に対する印象はだいぶ変わります。
そう、これはアオリ男だけが起こした事件ではなく、アオリ男+レイチェルの出会いと相乗効果によって起きた悲劇なのです。
怒りは怒りを増幅させる。
怒りが行き着くところは事態の悪化と身の破滅。
不景気、過酷な労働環境、解雇、生活のスピード化、職場や家庭の人間関係など、イライラやストレスの社会的な原因を改善することは難しい。
個人レベルでストレスをうまく解消する、怒りをコントロールする方法(アンガー・マネジメント)を習得する、怒りのエネルギーを建設的な方向に活かす、立ち止まって他人の事情や気持ちも思いやる、キレやすい人とは関わらない、ぐらいしか対処法はないのかな?
冒頭に撒かれた伏線が、待ちくたびれた頃にきれいに全部回収される。
でも、結果を考えると…
後味はよくない。