ヨーク

あのこは貴族のヨークのレビュー・感想・評価

あのこは貴族(2021年製作の映画)
4.5
今年暫定ベストかなというくらいにはグッときましたね。実は予告編を見た時点では、何かいけ好かねぇな、金持ちと貧乏人の対立構造を使ってその分断を煽るような安易でくだらねぇ物語なんじゃないの、とか思っていたんだけれど全くの逆でした。やっぱちゃんと本編を観てみないと分かんないね。まぁ当たり前か。ちゃんと映画を観た後だといけ好かないと思っていた予告編を見直しても内容を思い出しながら目頭が熱くなるのだから調子のいいもんですよ。ちなみに原作は未読なので映画化にあたってどのくらい改変が加えられているかは分かりません。
あとこの映画は予告編でもその語が使われているように違う階層を生きる二人の女性が描かれる映画なのですが、そもそも階層って何よ? 何に対して言ってるのよ? と引っかかるところがあって予告編を見たときもそこが見えてこなかったから宣伝のための惹句として刺激があるような強い語を使っているんじゃないのかという疑いを持ってしまったのですが、本作で問題とされている階層というのは画像処理におけるレイヤー(和訳するとまんま「階層」だが…)のようなもので社会的な立場が上なのか下なのかという階級闘争的なものではないと思うんですよね。日本の社会に於ける階層を描くみたいな言い方をすると「日本は階級社会じゃないからそのような不平等な階層など存在しないのだ!」と憤る人とかいるかもしれないけれどこれはそういう映画じゃないっすよ。もちろん産まれた家庭によって経済的な格差や教育的な格差や文化的な格差があることは本作でも語られるけれど、それが縦方向のみの階級的な上下ではなく手を伸ばせば触れることができる、そんな連帯を可能とするような広がりのある階層として描かれてるんですよ。そうだなぁ、画像処理におけるレイヤーという例えで言うならかつてアニメーションを制作するときにはセル画を数枚重ね、動きのある部分のみを差し替えることで映像を作り出していたわけだけど、そこで描かれる画っていうのはそれぞれの階層に上下関係のようなものがあるわけじゃなく、それらが上手く重なったときに初めて映像としての良いアニメーションが出来上がるといったような、そういう意味での階層だと思うんですよ、この映画で語られている階層というのは。なので本作は良くあるような身分違いの二人を交互に描いてそのギャップを大げさに見せて、こんなに違う世界があるんだぞ! と煽るような安っぽくて下品な作劇ではないのです。
また本題である映画の感想の前にだらだら書いてしまったが本作のあらすじ。都内でも屈指の高級住宅地である渋谷の松濤で生まれてそこに住む門脇麦はお正月に親族と高級ホテルで会食するようなお金持ち一家なのだが結婚適齢期になってもお相手がいないという悩みがあった。また、地方出身で都内の有名私立大学に進学したが授業料の問題で中退を余儀なくされた水原希子は色々と苦心しながらも田舎には帰らずに懸命に東京で生きていた。一見交わることのない両者の人生が、婚活の果てに出会った門脇麦の結婚相手であり、また水原希子のかつての大学の同級生でもあり後にセックスを伴う友人関係にもなった高良健吾を介して交わり彼女たちにささやかな変化が訪れる、というお話。
はっきり言ってどこが面白かったとかじゃなくて全部面白かった映画なので、ここが良かったとかピンポイントでピックアップしていくのも気が引けるところがあるんだけど、特に印象に残ったところで言えばまず演出がキレてますね。キレまくってます。まぁそれは映画だけじゃなくて原作が素晴らしいということもあるんだろうけど、冒頭はこれでもかというほど門脇麦のお金持ち感がアピールされるんですよ。もう完全に俺とは生きている世界が違うなっていうのをまざまざと見せつけられて、でもそのせいでこんな奴に感情移入できねぇよってなるんだけどそこにやって来る高良健吾ね。こいつがもう庶民の目から見たら超絶お嬢様だった門脇麦をしても敵わないような超々金持ちなんですよ。いや金持ちっていうよりも名家とかそういう言い方の方が正しいのかな。確か江戸時代の廻船問屋とかから始まって政治家も何人も輩出してる家の息子で、高良健吾自身は弁護士なんだけどゆくゆくは親の地盤を継いで政界に出るであろうという人間なのだ。これがもう縦割りの階級的な階層でいうと本作でのヒエラルキーの頂点にあるようなお家の息子なのです。門脇麦がすごいお金持ちのお嬢様だと思っていたけどせいぜいギニュー特戦隊くらいで高良健吾はさらにその上のフリーザ様だったくらいの違いがあるんですね。なので門脇麦があからさまにお嬢様で気に食わないなぁとか思いながら観ている俺のような卑屈な底辺貧乏人でも圧倒的な家格の差を見せつける高良健吾が出てきてからは門脇麦に肩入れしちゃうわけですよ。その辺は映画全体に対しては些細な掴みの部分だけれど観客の心理誘導としては上手いと思う。
そういうどうしても拭うことのできない育ちの差みたいなものをさりげなく演出するのがめちゃくちゃ上手い映画ではありましたね。レストランでスプーンだかフォークだかを落としてしまったときも庶民代表の水原希子はそれを自分で拾うんだけど門脇麦は手を挙げてウェイターを呼ぶんですよ。また大学に入学したばかりの水原希子は幼稚園からのエスカレーター組と一緒にアフタヌーンティーに行くんだけどそこで躊躇なく4500円くらいのティーセットを注文するエスカレーター組のお嬢様方を見てドン引きしたりするんですよね。で、そんな風に階層の格差を上手く描いていくんだけど凄いなぁと思うのは門脇麦の友達が「東京って棲み分けされてるから階層の違う人とは出会わないんだよ」って言うんですよね。そのセリフは本来あり得ないはずの階層違いの出会いをダブル主人公である門脇麦と水原希子が果たすことを示唆した破られるべき前提のようなもので、まぁいわゆるフラグってやつなんですけど、でもその二人が出会う前にも上で書いたような門脇麦が属する上流の階層でも格差はあるし、同じように水原希子が属する中流くらいの階層でも格差はあるということは描かれているんですよ。でもだからこそ残酷というかね、なまじ絶対に越えられない壁があることを実感してしまうから絶望してしまうというのもあってそこもちゃんと映画の中に組み込まれてるんですよね。もちろん本作のメインのテーマとしては階層の違う者同士が出会ったときに断絶を感じるだけでなく連帯を持つこともできるであろうという希望の方なんですけど。
と書いていて思い出したのは俺が上京して数年くらいの頃、近所に100メートル以上は壁が続いていてさらにその内側は竹藪が生い茂っていて中が全く見えないというギャグマンガで描かれるような記号的なお屋敷があったんだけど、ある日その家の前を通ったら弓道だか薙刀だかで使うような長い棒状のものを持ったセーラー服姿の少女がデカいベンツに乗り込んでいく場面に遭遇したんですよ。多分当時の俺とその少女は5つも年が違わなかったと思うけれど完全に住んでいる世界が違うと確信したね。あと、その子の一族に代々仕えているという設定で彼女の身代わりになって死にたいと思った。いやまぁそれはどうでもいいんだけど、重要なのは自分が属しているのとは違う階層とか違う世界っていうのは割と近所にあったりするもんなんですよ、東京っていうのは。でも中々それらが交わることはない。本作ではその交わりが無理なく、かつ希望的に描かれているから素晴らしいのだと思う。
そんでやっぱそこは女性同士だから無理なく描くことができたっていうのが大きいんじゃないかと思いますね。ちなみに門脇麦と高良健吾は結婚するんだけどその二人は結局お互いに自身の立場を越えて繋がることはできないんですよ。夫婦関係はまた別だろって言われるかもだけど、本作で問題として描かれるのは女性同士を分断するために利用される社会構造っていうものがあって、一言で言えばそれは「家」(カッコつきの家)であるんですね。本作が凄いのはその「家」は女を閉じ込めてしまう作用があるものではあるけれど、男もまたその「家」を維持するために色んなものを犠牲にしているということが描かれることですね。高良健吾にまつわる一連の描写は素晴らしいですよ。彼すげぇ孤独だからね。名家のボンボンで何不自由なく育って都合のいいときだけ都合のいい女に甘えるような男ではあるけれど、彼が背負っている孤独は深いですよ。でもそんな「家」の犠牲になった者同士ではダメなんですよね。傷の舐め合いにしかならない。そこで異なる立ち位置である門脇麦と水原希子とのレイヤーの差分による連携的グラデーションとでも言うべきものが浮かび上がってきて、その有様が素晴らしいのです。
あとはそうだなぁ、水原希子は地方出身者で東京であくせくしながら生きている人間なんだけど、同じ境遇の同郷の友人と色々愚痴りながら夜の東京の町を自転車で2人乗りしながら走るシーンは泣いたね。比喩的な意味じゃなくて落涙です。俺自身が本作の水原希子と同じ地方出身者だから特にグッときてしまったのかもしれないけれど、あのシーン凄かった。新海誠が撮るようなカタログじみた何の魅力もない記号としての東京じゃなくて、あぁ俺が生きてる場所ってこういうところだよっていう実感があったのだ。あぁまた脈絡もなく新海をディスってしまった。
あとは役者陣も全員素晴らしかったですね。全体的に抑制の効いた無感情な演技をしていた門脇麦が橋の対向車線に手を振るシーンと自分の足で東京を歩くシーンは誂えられた構造体の中から外に出ようという意思が身体から溢れ出ているようで素晴らしかったですね。彼女のお気に入りの映画ってのはきっと『オズの魔法使』なんだろうな。だったらそれもストーリーを匂わせるようなチョイスだなと思います。終盤の「この部屋にあるものは全てあなたのものだから」というセリフもいいセリフだった。セリフといえば水原希子と友人の老後に備えて下の毛の処理云々のくだりは最高だったなぁ。あのシーン全部好き。まぁ基本的にいいところしかないので、この映画。
まぁでも褒めしかない感想も気持ち悪いのでイマイチだったところも挙げておくと、個人的にはラスト数分は蛇足だったかなと思う。門脇麦が前向きに変化していく未来を見せたかったのかもしれないけどそこは匂わせるだけでいいというか、水原希子との出会いを経てあの決断をした時点でもう大丈夫だなこいつ、ってなるでしょう。なので最後ちょっと蛇足だったかなと。あと本作は章仕立てになってて章ごとにサブタイトルみたいなのも付いてるんだけど、それはちょっとダサいかな、と。まぁ分かりやすくていいけどさ、でも言わなくても観てりゃ分かるよっていうサブタイトルだったので。
まぁそれくらいの文句しかないっすね。現時点での今年ベストくらいの映画だと思う。その割には『シンエヴァ』よりスコア低いじゃねぇかと思われるかもだが、あれはまぁ長年にわたる個人的な思い入れとかが色々あるので…。ぶっちゃけ『シンエヴァ』観るくらいなら本作観ろよと思うくらいには凄い映画ですよ。溝口が今生きてたらこういう映画撮ったかもなぁとか思いましたね。
めちゃくちゃ良かったです。
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