月うさぎ

ノマドランドの月うさぎのレビュー・感想・評価

ノマドランド(2020年製作の映画)
3.6
究極の自由とは、野垂れ死ぬ自由だと
どこかで聞いたか読んだかしたと思う。
「ノマドランド」はどこを切ってもアメリカを表現していると感じた。日本でもヨーロッパでもない。
まさに大陸。果てしなく広がる地平は荒涼としつつも美しい。
空、星、誰もいない渓谷、絶景を満喫し、孤独を味わい尽くす、一人旅。貨幣やマーケットの価値観に縛られない自分の価値観と共に生きる誇りと覚悟。
彼らはホームレスではない「ハウスレス」だという。ホーム=家ではないから。

ノマドは本来は「遊牧民」や「放浪者」を意味する言葉。この映画ではRV車(キャンピングカー)で移動し、定住地を持たずに季節労働をすることで生活の糧を得ている人々を指す。生活に困窮した高齢者が多く、現代の優雅なノマドワーカーとは異なる。
私の印象ではアメリカのノマド達は遊牧ではなく「西部開拓時代のDNA」を引き継いでいるように思われた。アメリカでロードムービーが鉄板のテーマであるのもそんな訳だろう。新しい土地、大いなる自然に踏み入れる感動。映画ではそんな景色や感動をもしっかり観せてくれる。
まるで観光誘致のビデオみたいに。

この映画の良さでもあり弱さはここ。
どんなに厳しい生活環境だとしても彼らは無一文ではない。アメリカの市民権があれば、仕事もできる。日本のように住民票がマストではない。ネカフェ難民より裕福だ。何よりキャンピングカーという資産を所有している。少ないけれど年金ももらっている。流浪の民ではなくトラベラーなのだ。家族が迎えに来て定住に戻る人さえいる。
大体どんなに広かろうが国内旅行だ。異文化や言語の通じない世界に飛び出すほどの勇気は不要。戦火に追われ国を捨てた難民や国籍を持たない人々と比べるまでもない。彼らから見れば自分の国の中で遊んでいる人に思えるだろう。

では日本人はこの映画をどう観るだろう?
景色が綺麗でじんわりハートフルだった
的な感想が一般的なのでは?
映画の手法、脚色、マクドーマンの本気の役作りには文句なし。
でもこの映画が大絶賛されている程のインパクトを私は感じなかった。
諸行無常を叩き込まれ松尾芭蕉の美学を学んだ日本人の多くはきっと大きな衝撃は受けないだろう。

ノマドそのものよりも、個人として自由を選ぶことがどういうことなのかを描いた映画だと考える方がいいかもしれない。

主人公ファーンは夫を亡くし、ゴーストタウン化した町に思い出にすがって何年も住み続けたが、遂に町を出る決心をした。
働く場所を求めて。RV車を住まいとして。
土地や家を借金までさせて売りつけるのは理不尽ではないか?と彼女は考える。
しかし故郷に帰るでもなく新しい町でスタートするでもなく、車上生活を選んだのは、家族の縛りが息苦しいからだろう。
人を愛せないのではない。ただ、最良のパートナーを失ったからには誰もその代わりにならないと感じてしまうから。

人は家族という共同幻想を持ちたがる。
けれど、それを持てない人、そこから逃げたい人もいるのだ。
家族の価値復権を目論む日本の政治家達が目立つこの頃だが、大きなお世話だろう。
自由を何より大切にしたいと願う人にも生きる権利はある。

思い出は生き続ける
でも私の場合思い出を引きずりすぎたかも

そう言って、ファーンは究極の断捨離をする。心も真に自由になるために。
ファーンのノマドランドは、ここから本当に始まるのだろう。
月うさぎ

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