「捨てるなら産むなよ」
子どもを「捨てる」。果たして本当に母親は「捨てた」のか?
この世界で、子どもを手放すことを「捨てる」という意識だった母親がどれほどいるのだろうか。
一人で公衆トイレで産んで、誰にも頼れずに子どもと別れを選んだ母親の孤独。彼女たちは子どもを「捨てる」と思っていただろうか。命の重みに押し潰されただろう。そこから救い出すのが社会であるべきなんだ。法律だって甚だおかしい。
自己責任?そんなことを吐き捨てる人間に何がわかる。
なぜ母親だけが責められるのか。なぜ母親だけに責任が押し付けられるのか。
日本も韓国も、男性優位社会が成り立ちすぎているわけで、本来精子を捧げた父親にも責任はある。それに自覚的でない男性が世の中にごまんといるから、母となる女性が責任を持つしかない。
そこをちゃんと汲んでいたのも信頼できる。
でもこのロードトリップ、みていてずっと不安だった。
いつか誰かが諦めるんじゃないか、いつか誰かに奪われるんじゃないかって。
是枝監督の作品を観ていれば、家族として生きる人々の脆さを突きつけられることもあるから。
「生まれてきてくれてありがとう」
でも繋がりの優しさも描くことを思い出し、段々強くなっていく互いの思いにできるだけ気づけるようにと、自分の善意をかけて見守った。
古いプリクラの写真が揺れる。熱いくらいの温かい余韻に包まれて映画館を後にした。
「捨てられたんじゃなくて守られたんだ」
この言葉に、涙が止まらなかった。
多くの女性に届いて欲しい。
子どもを思うがゆえの選択、母親も守られる社会にしていきたい。