このレビューはネタバレを含みます
ムコリッタ。1日の1/30。48分。日常。生きること。関わりあうこと。死ぬこと。1カットごとの風景の切り取り方が綺麗。お風呂に入る、トマトを齧る、風呂上がりの牛乳を飲む、炊き立ての白米のにおいを嗅ぐ、すべてにシズル感があって生活がそこにある。
イカの塩辛工場で働きはじめる山田。社長の口からさりげなく出てきた「更生」という言葉が山田の過去に何かあったのかと思わせる冒頭。
北陸ののどかな田舎町、ハイツムコリッタでの暮らし。未亡人で大家の南、図々しくお風呂を借りにくる島田。息子と二人暮らしで墓石売りの溝口。何気ない日常、ささやかなしあわせ。せっかくのすき焼きがみんなに食われる溝口。
4歳の時に親が離婚、遺骨を引き取るか悩む山田。癌で夫を亡くしている南。死んだはずの岡本さん。実は息子がいた島田。いのちの電話。妻の遺骨を花火で打ち上げたタクシー運転手。死を受け入れること、死を乗り越え生きること。死んでもなお、生き続けるということ。妊婦を見ると人間がいたって動物的だと思うという南の発言は生死という動物の避けられない本質を示唆していたし、夫の遺骨を食べる南のシーンは美しく幻想的だった。
後半は冒頭で匂わせた山田の前科について迫っていく流れ。更生することに向き合ってくれる社長の存在。孤独にさせてくれない島田の存在。七の段。ささやかなしあわせは誰にだって訪れる。誰だって、感じていい。土手をみんなで歩き遺骨を撒くラスト好きだな。
「ささやかな幸せを、細かく見つけていけばさ、なんとか持ちこたえられるのよ。こんなギリギリの状態でも」
「どんな人だったとしても、いなかったことにしちゃダメだ」
「ぼく、金持ってませ〜ん!」
「山ちゃんぼくね、自分が死んだ時にさみしいって思ってくれる人が一人でもいたらいいと思ってるの。山ちゃん、ぼくが死んだらさみしいって思ってくれる?」