排路

トリュフォーの思春期の排路のネタバレレビュー・内容・結末

トリュフォーの思春期(1976年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

子供と情報リテラシー

拡声器のシーンで「おなかがすいた」と何回も主張してた。自分できれいにしたバッグじゃないとレストランにいきたくないといった子供がいて団地の人に助けてもらって食にありつく。大人である親に家に置いてかれたのは子供の主張が通らなかったから。でも最終的に拡声器で意見を述べて、権利を獲得。象徴的なシーンでした。

子供の世界と大人の世界が対照的に描かれていて、子供の世界ではお互いが自由のためにいろいろやってた。

パトリックが窓の外の時計眺めたり、窓の外に向かって女の子が拡声器で叫んだり、あるいは窓の外から落ちたり。窓は一見すると外の情報に接触するために開かれたものだけど、それはガラス越しで、額縁付きで限定的なもの。そこから得られるのはを設置した大人という要素通した情報。必ずしも真実だとは限らない。そんな中子供たちは何を信じていたのか、それは自分と同じ状況に置かれた他の子供そして映画だった。

最後らへんのシーンでパトリックとマルチーヌは他の子のいたずらを信じて食堂をでた結果二人一緒になってキスができた。
授業はまじめに聞かないけど友だちのことにはまじめに受け止める。

大人の要因「お金」を克服して観に行った映画ことは情報にふれる自由の権利を獲得したことだと思う。そういった要因に左右されることなく自由に情報にふれられる権利。パトリックが奥手だから女子と関われなかった映画館でも彼はいろいろなことを知れる。オスカルの口笛を知ったのもの映画で、上映後学校では口笛が流行る。

ほんとに子供の会話は子どもにとっては重役会議だと同じ事だと思える。

子供たちが見て聞いて判断する手助けとしてトリュフォーが提示したのは映画と子どもそのものだと思う。

別に子どもみんなが親や先生から認められたいと思ってるわけじゃないんだなぁー
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