えむ

ドライブ・マイ・カーのえむのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
4.1

アカデミーノミネートの恩恵で最寄りの劇場で再上映をしてくれたのでようやく観れました。
内容と共に話題になるけど、この上映時間は自分の空き時間や劇場への往復距離も加味するとどうしてもハードルは高くなるわね。
(それで観そびれてる人は多いと思うよ・・・)

物語が始まって、妻の死まではそこそこ動きがあったように思うけれど、それ以降は淡々と静かに紡がれる時間の中で、演出家である家福や関わっていく人々と、彼の演出する劇「ワーニャおじさん」の劇中セリフが不思議に重なり合っていきます。

人物の背景が多くは語られないことで、本人の口から言葉が出るまでは、もしかしたらこの人はこうなのではないかと「憶測の息を出ない」ある種のミステリ感のようなもの、想像で埋める余白がたっぷりと残されており、その作業を観客が強いられることで、好奇心や興味が尽きることなく、の長い時間を先へ先へと引っ張ってくれます。
動きこそ少ないけれど、その言葉運びだけで、ラストまで観ることができる作品です。

物語の多くが車の中、そして劇場、部屋の中という「閉鎖的な箱」の静かさの中で起こるから、その分ほんの少しの動きや、穏やかに見える時空間の中でチクリと感じる小さな違和感、「雑音」とでもいうべきものが、とてつもなく心をざわつかせ、それが育って不協和音となっていく感覚。

この物語は家福の物語のようでいて、その中心にあるのは「音」なんだなあ、と観ながら感じていました。
家福にとっての不協和音を生んだ妻の音も、己の中に引っかかり続ける雑音や、不協和音に悩まされた存在だったのかも。


確かに、手話まで含めた多言語役者たちの起用も含め、賞レースの審査員や批評家が好みそうだな(穿った見方をすればノミネートする理由が作りやすく、賞レースのクリーンさをアピールしやすい)とは思いましたが、それでもシンプルに韓国の女性の手話は一番胸に響く感じがしました。

肉体だけを使う言語、言葉が通じないことを当たり前としてきた人々だからこそ、そこにはその分の伝えようとする気持ちが乗り、最も饒舌になるのかもしれません。
劇中劇ラストの大切なやりとりが手話VS表情だったのが、やけに響きます。


ただ、一般の観客的には好みは分かれそうです。

とても文学的というか、言葉の余白を繊細に演者が掬い上げている感じで、引き込まれる人はじっくり味わって観るだろうし、合わない、とまでは言わなくとも流石にこれは長すぎるよ・・・って感じる人もいそう。
そもそもこの話のキーとなる「ワーニャおじさん」のチェーホフはじめとするロシア文学も、めっちゃ好きで名作!ってなる人と長くて読み始めてすぐ寝ちゃう人いるし、それと同じ。笑
私は結構好きですけどね。

あと、レンタルとか配信とか始まると思うけど、これはその「静けさ」をしっかり味わうってところで、劇場で観た方が良さは感じられそうです。
えむ

えむ