九月

浅草キッドの九月のレビュー・感想・評価

浅草キッド(2021年製作の映画)
4.6
今では日本人で知らない人はほとんどいないんじゃないかと思ってしまうくらいの、芸人ビートたけしが誕生するまでの浅草での下積み時代。
私にとってたけしさんと言えばもうすでに大物で、子どもの頃に、世界まる見え!で見ていたくらい。映画『戦場のメリークリスマス』もついこの間観たばかり。
それでも"すごい人"というのはなんとなく分かるけれど、特別な印象や思い入れはないというのが正直なところ。
今回、Netflixでの配信に先駆けた試写会で鑑賞させていただきました。

まず、タケを演じる柳楽優弥さんが顔は全然似ていないにも関わらず、若かりしたけしさんにしか見えなくなってくる。癖やちょっとした動作が、決して大袈裟でもなければ物真似というわけでもなく、一気に引き込まれた。
どこか哀愁が漂う昭和の浅草を、肌で感じるような気になれたのも良かった。

浅草のフランス座でエレベーター係を務め、芸人になるという野心を持ちながらも、師匠である深見千三郎の前では何も言えずシャイな彼の姿を見ていると、こんな時代もあったのかとすごく新鮮だった。
芸人たるもの笑われるのではなく笑わせる、ということやボケの基礎、そしてタップダンスを叩き込んでくれた師匠。口は悪いがそれも愛ゆえで、二言目には「バカヤロー!」という言葉が飛んできそうな勢い。
師匠の教えをどんどん吸収していくタケ。人生を切って浅草までやってきたと言う彼の本気が窺えた。

テレビの普及により、芸人の活躍の舞台は変わり始め、劇場からは客足が遠のくばかり…時代は変わっていくが、それでもフランス座に強くこだわり続け、テレビや漫才を一蹴する師匠。
当時のフランス座はストリップがメインで、深見やタケのような芸人はその合間にコントなどを披露していたようだが、客が見に来ているのはあくまでも服を脱ぐ女性…大学を辞め、芸人として活躍するためにやってきたというのに自分は浅草で何をやっているのか、という彼の失望が痛いほど伝わってきた。

でも、恩師を裏切るような形でフランス座を抜けてきよしと漫才コンビを組むことになり、これで二回も人生を切ったと相方に語る姿を見て、ともすれば、これからもまた何度も同じことになるのではないか?人生を切るってそんなに簡単なことなのか?と少しだけ思ってしまった。しかしそうはならないところに、タケの素質を感じた。本人の努力や信念はもちろんのこと、それを見抜いて育て上げた師匠の根気や情熱もすごい。

相方のきよしの温かさがとても好き。あと、タケと恋仲になりそうだった千春の目線が良かった。自分はやりたいことで成功できずフランス座で客の求めるものに合わせることしかできないのに、タケはまだ始まったばかり。そう羨ましそうにしていた千春が、フランス座をあとにするタケを送り出す姿に感情移入してしまい、何とも言えない気持ちになった。
師匠のもとを離れて、売れて成功していく弟子と、妻にも先立たれどんどん落ちていく師匠…の対比を見るのはどこまでも切なかった。

随所で登場するタップダンス。思えば、師匠やタケの会話やお笑いも、タップダンスのように軽快。
温かい気持ちにもなり、見終えてからはずっと余韻と寂しさに浸っている。
九月

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