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愛のコリーダ 修復版のnowhereのレビュー・感想・評価

愛のコリーダ 修復版(1976年製作の映画)
4.0
映画鑑賞歴ひとつの自慢はパリでも観たこと。初見は初公開(の頃)、たぶん池袋。2度目がパリ。3度目、渋谷。今回4度目、新宿。いずれもくっきりと別物のように感想が分かれる。初見は十代の僕、ボカシの中の赤い血。怖さが先に立っていたか。2度目は90年代終わり、三十代のフランス旅行で泊まったホテルがたまたまプロデューサー、アナトール・ドーマン経営の個人上映館(?)。小さなポスターを見つけて大興奮。夜に一度だけ上映、50席ほど。でもしっかり映画館だった。仏人カップルで満席。笑いが起こるシーンでも字幕のためワンテンポ遅れる反応に優越感。文字通りノーカット完全版、圧倒以上「凄いものを見た」の衝撃。もはや鑑賞ではない。この事件を間近で目撃した思い。映画の出自(仏で現像)とも相まって旅行最大のサプライズにして最高級のメモワール。ルーブルもエッフェルもぶっ飛んだ。両腕を振り回し、大傑作であると喧伝。次は「2000」バージョン、これはパリ目撃の反芻に過ぎず、ふむふむ程度。そして今回。歳を重ね、再発見もいくつか。よく言われる名シーンである、例の行進の傍ら、決して吉蔵は笑っていなかった! ……無表情なのだ。笑いととっていたのだ、これまでの僕は。
それにしても、である。遠い戦前の出来事から40年経って映画化。その製作から45年も経っているのだ。既に。歳を重ねた自分は何をしてきたのか、時間を、時代を痛切に思う。ビデオで再見はない。いずれも暗い場内。スクリーンに自分を投影してきたのだ。「感受性」という言葉がここまで沁みる映画はない。吉の面、屹立した天狗。定の着物の色。吉の赤く充血した顔。映画の圧倒的なパワー。痛切に思わされる経験となった4度目であった。
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