よし

Arc アークのよしのネタバレレビュー・内容・結末

Arc アーク(2021年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

死なない女性の話であるのに、この物語には沢山の死が描写される。

小説は読んでいないので的外れなことを書いているかもしれませんが、
人間という種を永続させるために、人は子供を生み育て、子供が大人になれば、自分は衰えて死んでゆく。
その従来の枠組みから外れたリナはハルに自分を『母』とは呼ばせない。

自分が昔捨てたもう一人の子供が彼女を母と呼んだ時、鮮明にその言葉が残って、ものすごくはっとしてしまいました。
後に4人で撮った家族写真も、彼女に彼の言葉を意識させる一因になったんだと思います。自分と娘、息子とその妻。夫の居ない自分と、子供の居ない息子。変わらない自分と老いた息子、という対比。

老いず永遠に若い女性。年老いて妻の死期が迫っている男性。
見比べれば後者が悲惨な人生に見えるのに、彼らは終わりに向かって進むからこそ、変化するからこそ、日々に喜びがある。永遠でいることを自身に課した女性に、息子は『縛られずに自由になれ』と言う。
彼女がなぜ永遠の若さに囚われていたのか、天音のためだと思うのはセンチメンタルに過ぎるでしょうか。息子を見て、『夫婦』の違う愛し方を知ったように自分には見えました。

冒頭の『プラスティネーション』は葬式の役割をしているんじゃないかと思います。
葬式は故人のためというよりも、残された家族が気持ちを整理するためのものだと思うので、大切な人が亡くなって、『死んだとは分かっているけど』残したい。それに因り遺族は慰められ、前に進むための手段として描かれていたように思います。リナの『自分が永遠であること』も、夫の死への手向け、夫の意思を継ぐことで強く生きるためだったと思えるんです。


人には生きる意味なんて無い。私たちは人間という種を存続させるための繋ぎでしかない。
だから、生きることには意味などないと知った上で、そこから人は始まるんだと私は信じます。どのように生きるか、もしくはどのように死ぬか、これは同じ意味だと思います。

リナは自分自身の答えを出したし、映画の登場人物たちは皆、自分なりの答えを出していました。
映画の中で一貫していた『人生は自分で選ぶ』という想念が自分はどう生きるのかを思い起こさせる作品でした。
よし

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