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⻤太郎誕生 ゲゲゲの謎のしののレビュー・感想・評価

⻤太郎誕生 ゲゲゲの謎(2023年製作の映画)
3.8
人間の醜悪さが「エグい展開」のつるべ打ちにより詰め込まれていく様が安直な気もしつつ、それが高品質なアニメーションにより完璧に制御されるのでもはや恍惚。そしてその醜悪を急に小っ恥ずかしくなるような「熱いバトル」で打破する終盤の舵切りに次世代への願いを見てなんだかやられた。

自分は鬼太郎シリーズに全く触れてこなかった人間なのだが、「あっ、こういうミステリーの感じ知ってる!」となる舞台だてで導入しているので初見でも全く問題ない見やすさがあった。冒頭からトンネルが強調されていて、そこを通り抜けるとコテコテの横溝正史ワールド……というセッティングがまず良い。これによって村をある種の寓話的な世界として見ることができる。村という形で人間の業が煮詰められた場所というか。それでいて郷愁煽られる美しさも描いているのが危険でまた良い。

しかも、その横溝ワールドをアニメーションで描くことによる新鮮な面白さもある。特に構図とリズム感がアニメーションならではという感じで、たとえば遠方の背景になんか怖いものが……→鎧兜がドーン! みたいな、バチバチ構図からのケレン味あるカッティングのリズム感が印象的だった。また、中盤以降怪奇要素が追加されるようになってくると次第に要所での色調使いが極端になっていくあたりも構成として楽しい。

この構成がテーマにも繋がっていて、なかなか効果的だなと思った。よくある因習村のイヤな感じで導入する序盤から、目に見えて怪奇要素が全面化する中盤に移行すると確かに一瞬ギョッとはするのだが、そんな「分かりやすくおどろおどろしい」妖怪たちが出てくるとむしろ怖さが薄まる体感がある。それより龍賀家の人間の方がよっぽどイヤな感じがするのだ。これが結局、終盤の「真に恐ろしいのは人間」展開に通じていく。

その終盤であの人が出てきてからは、一転して子ども向けヒーロー映画的な「敵がすごく悪っぽいこと言って、ヒーローがそれに応戦」みたいな文法になるのが(賛否あるとは思うが)自分は好きだった。つまり、それまでの血生臭い醜悪さをピュアな倫理で振り切るような感じがするのだ。しかもそれを大人がやるというのが良い。ボロボロになった日本からどう立ち直っていくかというテーマをやるにあたって、ちゃんと「大人の倫理」を問う内容になっているのが好感を持てる。その意味で、ラスボスは“お国のために”ロジックで他人に犠牲を強いる、見た目通り未来を食い潰す大人そのものであり、話が全部繋がってくる。そして最終的には未来を奪われた子どもとその意志を引き継ぐ子どもという構図を提示し、そこに至るまでにちゃんと大人がバトンを渡しているので、いい話だなと思えた。どう考えても彼はあの人に大切に育てられたんだなとわかる。

ここをちゃんと描く作品は意外とない。次世代の若者にエールを送るようで実際のところ大人の責任放棄では? と思う作品はよくある(それこそ今年の『しん次元!』など)。そんななかで本作のスタンスは真っ当なものに思えた。『ゴジラ-1.0』でも思ったが、日本がボロボロになった責任の所在を明かしているようで結果的に有耶無耶にしてしまうのは個人的には何だかなぁという気分になるので、本作がその辺をわりと真っ当にやってくれたのは嬉しかった。ここをまず評価したい。

ただ、鬼太郎ファンでもなんでもない自分からすれば、これは本来なら水木と紗代をメインに据えた話になるんだろうな、とは思った。しかし鬼太郎のオリジンを描くという(ほぼ建前と化している)お題のために、そこに妖怪を絡めないといけないので、悲劇が徒に2倍になっている感じはする。クライマックス手前、「水木切り替えはやっ!」と思ってしまったのが分かりやすくその弊害だった。

というか正直この話、横溝系ミステリーのみ抽出して龍賀家から子どもを救おうとする作品にしても成立するし、逆に怪奇要素のみ抽出してゲゲ郎が妻(と子)を救おうとする作品にしても成立してしまう。この、本来それぞれ単体で成立したであろう二作を無理やり接続して一作にしてる感は無くもない。だからクライマックスで「はい今度はこっちの二人の話ね!」となるのが構成としてやや無理やりな感じがする。もしこっち単体の話だったらこの人は救われてたんだろうな……という人物が、「鬼太郎誕生」に繋げないといけないという物語上の制約からあっけなく処理されてしまうわけだ。単にエグい展開が多いということではなく、このような構造レベルの観点から見ても、本来ここまで「エグい展開」を詰め込まなくても成立した話なんじゃ? とは思ってしまう。

もちろん、本作に怪奇要素が持ち込まれる必然性は「真に恐ろしいのは人間」をやるためだ、という見せ方にはなっている。ただそれであれば、水木が妖怪が見えるようになっていくという展開と、彼が「目に見えないもの」への関心を取り戻していくというドラマをもうすこし明確に対応づけてほしい。妖怪であるゲゲ郎とバディになっていくという友情譚がその描写に当たるのだろうが、彼って正直ほぼ人間だし……。

また、水木がクライマックス手前で犯す失敗は、あの時点ではまだあの人を「恐ろしい怪奇」として見てしまっていた、ということだと思うし、だからこそ「本当に恐ろしいのは何か?(=目に見えない本質は何か?)」という話に繋がっていくと思うのだが、この構成だと謎に切り替えが早いという印象が勝ってしまう。なので、水木があの失敗をするというイベントはもう少し手前で発生して、そこから彼が「このまま全て忘れて村を出るか否か」の葛藤をし、その結果「本当に恐ろしいのは奴らだ! 今度は同じ失敗をしないぞ」と決心する……みたいな展開のほうが受け入れやすかったかもしれない。

もっといえばその筋にしたとしても、水木が救う対象がゲゲ郎の妻と子ということに結局なってしまうのもやや不自然だ。理想でいえば、ラストで鬼太郎の側には人間サイドの次世代も居るべきなのではと思う。でも当然そんなことはやりたくてもできないんだろうな……という。

もちろん、鬼太郎シリーズをほぼ知らない自分から見ても、これは相当難しい接続をやってのけたんだろうと分かるし、その上で本来主題とすべき「鬼太郎誕生」の怪奇要素を、半ば水木のドラマに従属する形で利用し、「戦後復興期とこの国の今を重ねて次世代への責任を描く」という離れ業をやっている点には敬服する。ただ、その“接続”こそが作品をややおかしな構造にしている部分もあり、これによって最終的には「ひたすらエグかった」という印象が勝ってしまう人も出てくるだろうな……とも思った。ファン以外にも届く作りになっているぶん余計に。

とはいえ、いずれにせよ自分は大いに楽しんだ。そして改めて思ったのは、本作といい『ゴジラ-1.0』といい、敗戦コンプレックスの危うさとそこからの脱却がドラマのモチーフに使われ、実際それをある程度身に迫ったものとして観れてしまうあたり、やはり今の日本のムードは“戦前”に近づいているのでは……ということだ。もちろん、前提としてどちらも反戦の立場をとった作品だとは思う。ただ結論がそうであっても、そこに至るまでに「敗戦コンプレックスから立ち直る為にもう一度“お国のために”を繰り返すのか?(いやそうではない)」というドラマを形成する要素として、敗戦後の国民感情がモチーフになっているわけで、ここに時代の要請を感じた。そしてそんな要請から生まれた作品群のなかでは、自分は真っ当なことを描いている作品だと思うし、何より一本のアニメーション映画として楽しめた。流石に去年の『THE FIRST SLAM DUNK』までとはいかないにせよ、化けるポテンシャルはある作品だと思う。

※感想ラジオ
【初見が語る】ここまで攻める!?しっかり怖さと熱さがあった『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』ネタバレ感想
https://youtu.be/VIpcflPmvyc?si=44K45tZOQ7aGO204
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