ネノメタル

Ribbonのネノメタルのネタバレレビュー・内容・結末

Ribbon(2021年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

『Ribbon』は創作あーちすと、のん監督による全世界のエンタメのre-born(再生)をかけたドキュメンタリーである。

0.はじめに
ここ最近エンタメ界隈に関する会話で「私は人と違って音楽サイドに詳しい人間です。」「私は舞台よりも映画が好きな人。」とか「私は演劇サイドの人間で、あとはアニメが好きかな。」などと言ういわゆるジャンル分けみたいな会話ややり取りが日常で繰り広げられたりする訳だがハッキリ言ってそのボーダーライン分けにはビタ一文たりとも価値がないものだと思っている。

はっきり言ってそんな蛸壺(たこつぼ)の中で互いのマニア度をテイスティングし合ったりする事自体がもうエンタメ界隈全体崩壊レベルでヤバいんじゃないかと思う。だって人の心臓部のコアのど真ん中をブチ抜きさえすれば、もうそれは音像だろうが、映像だろうが、漫画だろうが、文字だろうが、ライブだろうが関係ないのではなかろうか。
その証拠に、かつてスリラー直前ぐらいの音楽フィールドの人である筈のマイケル・ジャクソンでさえ、『オズの魔法使』を基にした1978年のミュージカル『ウィズ』では諸手を挙げて引き受けてたじゃんか。最近だって映画実写版『Cats』であのテイラー・スウィフトが完全に猫のコスプレ姿で出てきてたし。

この事実が何を意味するかというと、彼らははなっから「私は音楽サイドの人です。それ以外の仕事を引き受けません。」なんていう変なプライドの乗っ取ったボーダーが無いのだ。もはやエンタメには色んなジャンルを作って、不毛なボーダー作って喜んでんのは恐らく日本だけではなかろうか。
そして、そろそろこの国もそう言う壁をぶち壊すべきフェイズに来てるんじゃないだろうかとも思ったりする、ましてやこのコロナ禍においてはエンタメのなし得ること全てを総動員して真っ向勝負する必要があるのではないか。

で、そんな事を思ってた矢先、遂に出会ってしまったのだ。
正に2022年2月27日にこのエンタメ界で、コロナ禍への怒りをぶちまけて自らのプライドと意地をかけて真正面から向き合い、悲壮感のかけらもなくそれを高らかにエンターテイメントとして昇華しきった作品に出会ってしまったのだ。
その作品こそが、ズバリ、創作あーちすと、のん氏が放つ真っ向勝負のオリジナル長編映画『Ribbon』である。

2. Overview
ざっとストーリーを追っていくと
[コロナ禍の2020年。いつかが通う美術大学でも、その影響は例外なく、卒業制作展が中止となった。悲しむ間もなく、作品を持ち帰ることになったいつか。いろいろな感情が渦巻いて、何も手につかない。
心配してくれる父・母とも、衝突してしまう。妹のまいもコロナに過剰反応してリセッシュしまくる始末。普段は冷静かつオシャレな親友の平井もイライラを募らせている。こんなことではいけない。絵を描くことに夢中になったきっかけをくれた友人との再会、平井との本音の衝突により、心が動く。
未来をこじ開けられるのは、自分しかいない―。誰もが苦しんだ2020年。心に光が差す青春ストーリー。]

いや、結論から言おう、もう恐れ入りました!
正直にいうと本作を観る前この「ゴミじゃない」というキャッチコピーと共にのんがカラフルなリボンを背負っているこのポスターのビジュアルも目にしてて、なんとなくアート志向の音楽もかかったりする洗練された雰囲気映画かなと鷹を括ってたけどこれは大きく違った、もうそれは大きな間違いでした、もう完全に舐めてました。
もう紛れもなく2022年を代表する大傑作です。
正に本作を定義すれば「コロナ禍で全てのエンタメがズダボロに寸断されていく状況下で のん監督がエンタメに生きる者としての怒りと意地とプライドとセンスの極みを掛けた超弩級の傑作である」と言っても過言ではない。
このレビュー、スコア5.0ギッチリ入れてるけどこれでも足りないぐらいだと思っている。
昨日(2/27)本作を2回ほど観て既に1日半ほど間以上経過しているが、もうただ感動と感銘の溜息しか出でこないのだ。余韻が半端ない。
あと断っておくがこれは、決して元・能年玲奈、現「のん」という国民的レベルに認知されている目のキラキラ輝く見た目麗しい女優が監督してて、そのバイアス込みでオマケ点足した状態で絶賛してる訳ではない。
だって私はのんさんという女優の作品は舞台、映画中心に割と観てる方だと思うけどライトファンレベルであって、舞台挨拶や都心や地方での舞台に県外越えて遠征したりするほどの熱狂的な大ファンではないのだ。
それでもここまで本作に感動してる自分にむしろ驚いている次第である。
これは例え彼女の名を伏せて、覆面監督状態で鑑賞したとしても私は同じ様に大絶賛しただろうし、本作には喜怒哀楽のどれでもない感情の洪水の様な涙が溢れる瞬間が少なくとも三度はあった。普段どんなに感動してもあまり落涙する事はない自分なのに。
監督兼主役であるのん演じる「浅川いつか」という名の美大生は今現在コロナ禍で「不要不急」のレッテルを貼られまくっている自らの自画像が描かれている立体的にデカいあのアート作品を目の前にして「ゴミじゃない」と本編の中でも確信を得たかのように穏やかに断言する。
そう、あの台詞はあのアートだけじゃなくそれらを含めた全てエンタメは決してゴミなんかじゃないのだという不要不急の世の中への一つのアンサーを提示してくれている様に思う。それはたとえ普通の平面のひょろ長い長方形の紙切れでも、きっちり折って結べば愛するひとへのプレゼントであるとか女性の髪型を美しく彩る「リボン」へとたちまちにして変身していくではないか。
そこには大きいリボン、小さいリボン、青や赤やオレンジやピンクのカラフルなリボン、などなど多種多様なんだけれど、それらは人の喜怒哀楽では決して収まりきれぬ「感情」の象徴として様々な様相をも魅せてくれるようにも思ったりする。正に感情の景色を「再現」してくれるものとしてのリボン。
 或いはこうも捉えられよう。のん氏自体、かつて能年玲奈という本名で国民的ドラマに出演するなど活動していたが色々な事があって本名での芸能活動の休止を余儀なくされている事実も本作品への着想へと少なからず貢献してはいないだろうか。彼女は既にコロナ禍以前にエンタメ活動を閉ざされるという挫折を味わっていて、そうした弊害をようやく乗り越えてようやく「あーちすと活動」が軌道に乗りかけていたこの時期に、コロナ禍ならではのニュース記事を偶然にも目にしてしまう。それがある美大生の「コロナ禍を経て私の創作物は全てゴミと化してしまったようだ。」というかつての自分の挫折を想起せざるを得ないような現実的かつ残酷すぎる独白。
この不要不急の名の下にアート含めたエンタメの存在意義が失われつつあり、何とかして現状を打破しようとする状況下とかつての自分とかリンクしてやがて感情移入してできたこの作品。美大生浅川いつかの姿は正にのん自身の投影でもあるのだろう。
その意味で本作は彼女のドキュメンタリー作品でもあるのかも、と思ったりもして。
因みに私は本作鑑賞中に「Ribbon」は主人公いつかが正に再びアートへ向き合いという意味での再生を表す「Re-born」とダブルミーニングかかけているのかな、と深読みしたって喜んでたが、それは誰しも考えてるみたいで見事にパンフレットの方で中森明夫氏の素晴らしいレビューにて既にガッツリ記述されていたけど(笑)あとこれもドキュメンタリー云々という文脈で言えば当然と言えば当然なんだけど本作での浅川いつかのキャラクターのベースは「8日で死んだ怪獣の12日の物語」でのコロナ禍自宅にいる事を余儀なくされて通販で宇宙人を購入しても育ててしまうというのん演じるほぼ本人役のあの個性派女優が基盤にあると思う。その意味でも岩井俊二監督はエグゼクティブ・プロデューサー的な役割を無意識的にやってるようで、その影響が凄く大きい作品だなと思う。岩井監督は冒頭でも美大の担任教師というドンピシャな役で一瞬出演してたし。

3.Impressive Scenes

あと特筆すべきは姉・浅川いつかと、その妹・浅川まい(小野花梨)とのやり取りがめちゃくちゃ自然で神がかりすぎている点のだ。
のん自身が舞台挨拶でも言ってたが、この二人の間(ま)は台本読み合わせの時からドンピシャでそう時間かけずにすぐに本番収録に持ち込んだようだと言ってたのもめちゃくちゃ納得してしまったし、公園にてかつての中学時代の同級生、田中(渡辺大知)を遠巻きに見ながら「あいつ怪しい。」だ、「キモイ、こっち見てる。」だ「あれは不審者だ。」などと言って、君らその声聞こえてるだろ💦的なシーンがあるんだけど、過去の作品になぞらえれば「花とアリス」の冒頭で新井花と有栖川有栖が朝の通学電車にてマーくんを見ながらあーだこーだ言ってる会話シーンを彷彿とさせる。
あと近作だと一昨年の傑作『アルプススタンドのはしの方』における安田あすはと田宮ひかるのあの前半の野球オンチ・グズグズトークのシーンを思い出したりして、もうあのシーンだけでも延々5時間ぐらい観たいくらいだ。是非これ円盤化などが叶った際には未公開シーンも見てみたいな。割とこれはTwitterのTLでも同じような事ツイートしてた人もいるみたいだし是非実現して欲しい。

あと過去作との関連で言えば、本作は青春をテーマにしたインディーズ映画の良い所が全て詰まっているような作品だとも言える。
既出した様に『アルプススタンドのはしの方』でのテンポの良い会話劇の心地よさであるとか
『サマーフィルムにのって』
や『佐々木、インマイマイン』でのスクリーンから飛び出してきたようなダイナミズム溢れるあの展開であるとか、後『のぼる小寺さん』に顕著だった青春期特有のセンチメンタリズムであるとか、あるいは起源を辿れば恐らくはこちらも既出したように(本作に最もインスパイアを与えたであろう)岩井俊二監督『花とアリス』なども挙げられ、これらに傑作群を彩ってきた要素の全てを本作に感じられつつも、更にこの人にしか描けないであろう独特の空気感も伝わってくる完全なオリジナリティもあったりするのだ。
これは2/27の舞台挨拶でも触れてたが主人公のいつかの装着してるマスクが最初は地味なものだったのだが、「ウレタン製マスク」になり→「ウレタンマスクのカラー」→「可愛らしい柄物」と徐々に明るさを取り戻していくのがわかる。
こういう所に劇中でアーティスト志望の女の子としての自分を取り戻していく心象風景の変化をも感じることができよう。あとマスク外して改めて自己紹介し合ういつかと田中が別れ際マスクを付け直しつつあたふたして別れるとことかほんとキメが細かいと思う。あといつかの親友・平井(山下リオ)と口論になったりするシーンとかめちゃくちゃ迫力あったし、その中で

いつか「何やってんだよ!」
平井「ずっと絵を描いてたんだよ!!」

と言われた時のハッとしたいつかの表情が「そりゃそうだよな....」と微妙に変化するとことかこういうリアリティの突き詰め方もヒリヒリするし演出など物凄く細部にこだわり抜いていると思う。
あとは音楽に関しててSSWヒグチアイさんの妹、ひぐちけいさんを中心として作られたらしい劇伴音楽も神がかり的に合ってた。何なんだ特に平井の絵を二人でぶっ壊す時にかかったあのロックダイナミズム溢れるエレキギターが劇場中に鳴り響いた時、鳥肌で震えまくった。
そうそう、これが前述した【喜怒哀楽のどれでもない感情の洪水の様な涙が溢れる三度の瞬間】の中の一つね。因みにあの美しいラストのぶっ壊された絵の断片を幾多のリボンと共に貼り付けたいつかの自宅の卒業展覧会シーンも最高に感動的なんだけど、個人的に感情移入沸点が沸いたのは間違いなくこのぶっ壊しシーン。ここに彼女自身の怒りや苦悩がブチ込められてていると思う。
で、何よりも素晴らしいのは本作は丸眼鏡かけてちょび髭はやしてベレー帽被ってしたり顔でニヤニヤして骨董品でも愛でるように映画作品を論じるあの気持ち悪い事限りなしのサブカル映画マニア・オンリーに向けてでは決してなく
【全宇宙のエンタメに関わるもの、そしてエンタメを愛する者、そしてエンタメそのもの】達へと全世界に放たれる太陽光のようにギラギラと光り輝いていると思う。

もう一度繰り返すが、我々には偏りまくったファンダムコミュニティなどに塗り固められたエンタメ作品などには用事はない。
今、我々が欲していて、これからも必要なのはこういうシリアスな状況に真正面から立ち向かった真っ向勝負のエンタメだと断言して良い。
本作が全世界の人口78億8796万3616人の目に留まり、2022年全ての季節を駆け巡ってくれることを切に願う。
そうすれば「世界はきっと平和になる」だろうという唐突ながらJohn Lennon『IMAGINE』の歌詞を一部引用して5400字以上に及んだ本レビューを壮大に締め括っておきたいと思う。
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