レインウォッチャー

屋敷女 ノーカット 完全版のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

屋敷女 ノーカット 完全版(2007年製作の映画)
3.5
エクストリーム・自宅出産・チャレンジ!からの、《痛み》考。

出産を目前に控えたサラがひとり夜を過ごす自宅に、ハサミを握りしめた謎の女が押し入り襲ってくる。
なんてシンプル、なんてイズベスト。そんなミニマルな型・尺の中に、スリル・ショック・サスペンスが臨月の腹くらいパンパンに詰まっている。

ひとくちに「怖い」と言っても、怖さの種類は様々。今作はそのラインナップが豊富で、シチュエーションはほとんど限定されている中でスイーツバイキングのようにトラウマを提供してくれる。(ただし鉄の味である)

一人で過ごす不安、相手が何者かわからない不気味、暗闇や寝込みを襲われる戦慄、閉じ込められる閉塞感と駆け引き、そしていつ産まれてもおかしくないある種のタイムトライアル感覚、etc。靄のかかったようなローファイな画面も、危険なものを観てる感を増長させる。

中でも今作は、というか今作を含む《フレンチ4大ホラー》なる映画たちに共通してそう(※1)な特徴として、「痛さ特化」がある。
もちろん血もドバドバ出るんだけれども、単にゴア/グロなだけでなく、鋭利なモノで刺されたり切られたりする感覚への執着が異様だ。人体の弱いところ、無防備なところ、皮膚が薄そうなところ…を的確に攻撃してくる描写の数々。だんだん、「あのう、なんでそんなことを映そうと思ったんですか?」と冷静に正面から問い質したくなってくる。

なんだろう、フランス人って痛覚がばかなんだろうか(国際問題発言)。
…とか思ってたら、先ほどたまたまこんな論文を見つけた。

・痛みと人生
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ryodoraku1968/30/9/30_9_177/_pdf
・痛みの言語表現について問う
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ryodoraku1986/37/6-7/37_6-7_161/_pdf
 
ちょっとどの程度の信頼性があるのか(そこそこ古いドキュメントだし)わからないけれど、麻酔科の医学教授によるものである様子。
ともあれ、ここにはこんなことが書いてある。

-フランス人は痛みがあると、それを人のせいにして、「これは医者が治さないのがいけないのだ」とか、「女房がいけないからだ」とか、そういう感覚でとらえているそうです。

-フランス人は痛みを攻撃的な意味で捉えているというのです。(中略)そして痛みが存在したという証拠として、痛みを保存しておこうとするのだそうです。それから次に、痛みに復讐しなければならないと考えるわけです。

なるほど、なんだかひどく好き勝手な言い草ではあるけれど(「女房がいけないから」の魔球さ)、これを信じるならば今作やフレンチ4大ホラー映画がここまで「痛み特化」なのも少し窺い知れるところがありそう。

フランス人にとって痛みはそれ自体が外界からの忌むべき《敵》であり、ホラーの主格=痛みなのである、ということなのかもしれない。かつて虫歯だらけであったとされるヴェルサイユなんて、それこそ世紀末世界みたいな険悪さだったのだろうか。そんなことだから革命されるんだろうね。

とにかく今作からわたしたちが得るべき教訓の一つは、フランス人の足を踏んだりしたら「徹底的に謝る」か、あるいは「復讐される前に完膚なきまでに叩きのめす」(今作のサラのように)の二択である、ということだろうか。シャンゼリゼ通りは冥府魔道。

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邦題の元となったのはいわずもがな望月峯太郎による伝説のホラー漫画『座敷女』であろう。
しかし、日本的な感覚でいえばやはり恐怖度は『座敷女』に軍配が上がると思う。『屋敷女』は最後まで観れば犯人の行動にひとつの理論が通っていることがわかるわけだけれど、『座敷女』にはそれすら通用しないからだ。

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※1:わたしが観たことあるのは今作含めて3/4作。
・ハイテンション
https://filmarks.com/movies/28955/reviews/144286712

・マーターズ
https://filmarks.com/movies/10132/reviews/144959901