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シークレット・ディフェンスのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

4.0
【サンドリーヌ・ボネールと秘密の扉】
最近、日仏学院が特集上映の会場に選ばれることが増えている。先月のシャンタル・アケルマン特集に引き続き、今月はジャック・リヴェット特集が行われ、珍しい作品『シークレット・ディフェンス』が上映された。ジャック・リヴェットの作品は長いことが多く、MUBIなんかで観ると集中力が切れてしまうことがある。『シークレット・ディフェンス』も例のごとく3時間クラスの作品であり躊躇していたのだが、ここで逃したら観る機会がないだろうと思い足を運んでみた。確かに長い。果てしなく長い作品ではあったが、その長さと付き合うことで面白い知見を得ることができた。

『シークレット・ディフェンス』を語る上で重要な観点が2つある。まず一つ目はタイトルにもある《防衛秘密》である。これは、秘密を抱える者が他者から詰問された時に、自分の身を守るためにはぐらかす様を表しているように思える。実際に本作の中では3つの視点から《防衛秘密》が描かれる。

まず、姉弟の父を殺し事故死に見せかけたとするヴァルサーである。彼は謎が多く、シルヴィが尋ねてもなかなか真実を語ろうとしない。観客は彼女と同じ立ち位置で「秘密の扉」の前にいる。

次にシルヴィである。彼女は死の真相を求め、やがて復讐のためにヴァルサーを暗殺しようとする。その過程で彼の女を射殺してしまう。秘密を追う中で秘密を抱えてしまい、後半はそれを隠しながら胸の内を吐露しようとする。秘密が生まれるまでの過程を提示し、それにより「秘密の扉」の内側/外側が開かれたものとして映し出される。

最後に、ヴァルサーの屋敷にやってきた女だ。彼女はシルヴィが殺した女を探す形でやってくる。我々は真相を知っている。つまり、ヴァルサーのように「秘密の扉」の内側から外側を覗いている構図になる。

この3つの視点を時間の流れの中で編み込んでいく。映画とは、数日、数週間にも及ぶできごとから退屈さを取り除いたものである。しかしながら、『シークレット・ディフェンス』には退屈な時間が所狭しと並んでいる。本作ほど「退屈さ」が重要な作品もないだろう。シルヴィのもとに様々な人物が尋ねてくる、電話をしてくる。しかし、どれもタイミングが悪い。そのくせ、彼女が必要としている時にその相手は不在となる。奇妙な距離感が死の真相という秘密を宙吊りにしていくのだ。彼女は気を紛らわそうと雑誌を読むも気が散ってどうしようもなく、終いには仕事をほっぽり出してヴァルサー邸へと向かう。

ここでの列車の扱いが興味深い。列車とは、映画の文脈でいえば物語を運ぶ装置である。目的地は決まっており、座っていればいつか目的地にたどり着く。それこそ、時が秘密を明らかにするメタファーである。しかしながら、遅々として目的地にたどり着かないフラストレーションがシルヴィの運動に反映されていく。彼女は、ソワソワし始め、化粧室で銃を確認する。スタンドで、ウォッカを2杯注文し、珍妙な顔で見つめる男にいちゃもんをつけながら席に戻る。そしてタバコをふかし時が経つのを待つのである。彼女が駅に降り立つ。目的地まではまだ遠く、バスに乗る必要があるのだが、一瞬迷った末に歩くことにする。秘密を急く故に動き続けるアクションを取るのだが、皮肉にもバスは彼女を追い抜いていくのである。急がば回れを象徴しているような場面といえよう。

彼女が誤ったターゲットを殺してからの列車における時間の扱いは少し違う。彼女がパリに帰るときは数カットであっさり帰路へと導く。パリには秘密がないからだ。焦れる必要がないのである。また、彼女が再びヴァルサー邸へと向かう時は内なる自分と向き合う覚悟ができているため、母親とじっくり腰を据えて時を過ごし、対話を重ねていくのである。

ジャック・リヴェットのつかずはなれずの関係性から心理を紐解く眼差しに圧倒された3時間であった。
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