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裁かるゝジャンヌのいののレビュー・感想・評価

裁かるゝジャンヌ(1928年製作の映画)
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まず邦題がとても良いと思う。「裁かれるジャンヌ」ではなく「裁かるゝジャンヌ」。厳かで重厚な感じがする。原題である「ジャンヌの受難」よりも日本では伝わりやすいのではないかと思う。それにこのパケ写がもうその通りで、映画から受ける印象をそのままあらわしているように感じる。ただならない様子。とても大事なことが深刻に展開されるであろう様子。だから観るのに覚悟が必要で、これまで自ら足を踏み入れようとはしなかったのですが、ここ最近の私のタイムラインでは、湯っ子さん、風ノ助さん、yoruichiさんが次々とレビューされ、ヘタレな私の背中を押してくださいました。ありがとうございます!


パリの下院図書館にジャンヌ・ダルクの裁判に関する詳細な尋問調書があるそうだ(冒頭のクレジットによる)。それを丁寧に読み解いて製作された映画なのだと思う。


映画の語法としてなんと表現するのが正しいのかはわからないけど、四隅を面取りしている(四隅がボヤっとしている)かのような画面で、自分が異端尋問を覗き見しているかのような気持ちにさせられる。サイレント(伴奏はあり)だけど、クロースアップのあとに絶妙なタイミングで台詞がクレジットされるので、サイレントを観ているということをそれほど意識しなかったし、クロースアップの多用に吸いこまれた。


教会は世俗とは真逆の存在であるはずだと思うのだけれど、世俗にまみれた男たちが、寄って集って皆でジャンヌを罠に陥れようとする様子は、集団でひとりの女にいじめをしているかのようだった。みんなで薄笑いしながら、陥れようとする。権力側の男たちは、ひとりの若い女が(しかも農民出身の若い女が)カリスマになるのがゆるせないんだ。


そうは言いながら皮肉なことに、彼女が完璧な伝説になることへの最後の仕上げは彼等の行為だったのだと思う。「自殺させたくない」「普通の死に方はさせたくない」と誰かが言っていたけど、火刑にしたからこそ、今現在も圧倒的な英雄として人々の心に刻まれ、褪せることなく存在し続ける(語弊のある言い方かもしれませんが)。もしもジャンヌが悪魔の遣いだと彼等が心底信じていたのならばジャンヌをもっと畏れるだろうし、神を冒涜していたと思うならばもっと腫れ物にさわるように接してもおかしくないのに。彼等の様子をみていると、ジャンヌをただのひとりの人間だと思っていることが、映像からよくわかる。結論ありきの異端尋問。


ジャンヌはずっと涙を流し続ける。もうどこか遠いところにいるような、どこか遠いところを(おそらくは神を)みているような。教会を通してではなくて、神と直接会話していたのだろうと思う(本人はそう思っていたに違いない。そこにウソはなにひとつないような)。演じた方は、ジャンヌ・ダルクを自らに憑依させて演じたのだろうと想像する。その労苦は察して余りある。男たちのクロースアップでの表情は様々で、陥れてしめしめの表情もあったし、いざ火刑になるとどこか後悔をうかばせる表情の人もなかにはいた。



メモ
・百年戦争(1339年~1453年)
・ジャンヌダルク(1412年~1431年)
・シャルル7世(在位1422年~1461年)
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