敬愛するロックミュージシャンのデヴィッド・ボウイ。その伝記映画ということで見逃せじと数少ない公開映画館に馳せ参じ鑑賞。フィルマの低得点に一抹の不安を感じながら。。
この手の芸術家伝記映画(ロックミュージシャンならば尚更)に求めるのは歌舞伎の型と同じく、以下の流れ。
①その先進性、芸術性からすぐには認められない下積み時代
↓
②家族や自身の事情から来る葛藤との闘い
↓
③ある出来事やヒントにより葛藤を克服しての再生(成功)
↓
④大団円たるパフォーマンス(カタルシス)
※当然、上記流れの最中にご本人の曲が印象的に流れまくる。
この流れさえ踏襲してもらえれば、観衆もこのアーティストに好意を持っている人が大半なので、「待ってましたぁ〜!」ということになり満足満足で映画館を後に出来る。
作り手の中途半端な作家性やメッセージはこの場合不要。 近年のこれの最も成功例は言わずもがな『ボヘミアン・ラプソディ』
で、本作。
この作品は①⇄②をずっと行ったり来たりして映画が終わります。③はほぼ描かれず、いきなり④に行こうとしますが、致命的なことに一番重要(というか当たり前)なご本人の曲が一曲も流れません。他人の曲のライブでは④は成立せず。
冒頭の『2001年宇宙の旅』とスペース・オディティを掛け合わせる映像は素晴らしかったし、序盤の下積み時代の描き方は良かったので期待して見進めた分、ラストのタイトルバックが出てしまった瞬間の残念感は久々。
他の映画であれだけ効果的にボウイの曲が使われているのに、ご本人の映画で聴けないなんてあり得ない。。
フォルマの方々のレビューを鑑賞後チェックすると、権利関係で楽曲使用が出来なかったとのこと。(先に知るべきだった。。)
これは公開すべき映画ではなかったですね。(権利関係で揉めたときにお蔵入りにすべき。)
後年、多分なかったことになると思うので、再度の映画化を望みます。
あのボウイの伝記映画がこれではダメです。
帰宅後、ジギー・スターダストのアナログ盤を大音量で聴きまくったことは言うに及ばず。。