Habby中野

MEMORIA メモリアのHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

MEMORIA メモリア(2021年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

この日の帰りはイヤホンつけずに自転車を漕いだ。別に感傷に浸ってたわけではなく、周囲で鳴り続ける音に耳を傾けることへの啓示のような、義務のようなものを感じていたらから。
こんなものは初めて観た。とてつもなく静かで、とてつもなくうるさく、長く、突飛で、混乱、酩酊、覚醒、放心……。
長く続く静寂を切り裂く轟音。それは観客の身体をも震わせる。間もなく再び訪れる静寂につづくのは、車たちのあまりにも騒がしいがしかしリズミカルな大合唱。それから記憶の欠如。菌類と詩。トンネル工事の現場で見つかった頭蓋に穴の空いた数時代前の少女の骨。見えないものたちの姿が漂う。
これはまず記憶の共有、もしくは記憶による身体の共有についての物語だ。アンテナ-アンプ-スピーカー。あらゆるものが呼応し合い、時間と場所をも超えて、そこにいたりいなかったりするものの声を響かせる。
そして追求されるのが音。音の無限/無源/無間/無言/夢幻性……。暴力的に聞こえる音を問題として振り払うのではなく、音の形を言語化し、可視化し、再現を求める。この轟音の正体は、羽毛布団を金属バットで叩く音に似た、宇宙船の出航音。しかし、この意外で異形な展開をだれが否定できるのだろうか?
雨の音、風の音、雑踏、話し声、工事音、音楽、衣擦れ、葉擦れ。いまも、そこかしこで音が鳴っている。音は記憶の声明であり(たとえば、いまこの部屋で皿が落ちて割れるとする。その音は、その皿の歴史と、この床の歴史と、その状況を作り上げた部屋の持ち主との交錯により出来上がった唯一無二の音だ)、彼に起きたありとあらゆるすべてを想像させうる。トンネルに反響する屈折した工事音は数時代前の頭に穴の空いた少女と呼応し、菌についての詩には図書館で本をめくる音が響く。
現在があり同時に過去がある。過去は、かつていまここにあったし、いまもなおある。記憶は空間を媒体に、声を出し続けている。
頭の中に穴を開けるような轟音を聞いた彼女自身、どこからきたのか、本当にいまそこに いるのか(これが映画だという意味では、少なくともそこにいるがいまはいない)、それさえも不明瞭だ。ある時そこにいた誰かは、いまはそこにいないかもしれない。それでも過去をなかったことにすることなんてできない、ではなくあり得ない。そこかしこで音が響くたび、時間は存在していない。
"バンッ!"
それはかつての過ちの音かもしれないし、未来の宇宙船の音かもしれない。たったいまたてたその荒い音は、いつまでも鳴るだろう。彼女には聞こえたが、われわれはどうだろう?
Habby中野

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