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MEMORIA メモリアのryoのレビュー・感想・評価

MEMORIA メモリア(2021年製作の映画)
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最初の轟音。彼女の音、そして観客にも聴こえる音。映画の音はどこにあるのか? この映画には映像に付けられた出所不明のBGMのようなものはない。また、彼女の轟音が観客に共有されるのに対して、作中で再現され、ヘッドホンで聴かれる音は観客には聴こえない。聴覚における一人称と三人称が攪乱されるのに並行して、日常は夢の論理に覆われていく。

水平に動くカメラが、暗い部屋で目覚めた女と廊下に出て移動する女の姿をシームレスに捉える。ひとりでに騒ぎ始める車たち。確か死んだはずの男は友人の話題の中で普通に生きており、昨日までいたはずの男は忽然と消え、現世の理から外れた場所で同じ名前の男に出会う。眠りと死。「映画は他人の夢を模倣している」、とアピチャッポンは言う。

かつての幼い日、路地裏で微かに聴こえるラジオの音は、どこか遠くの、懐かしい未知の世界から響くような気がした。アピチャッポンの映像は圧倒的な刺激によってこちらに麻痺的な快楽を与える類のものではまったくなく、うつらうつらしているうちに記憶を喚起するようなところがある(白洲正子が『お能』で、能を演じ、また観るときの精神状態を「さめきったネムリ」と表現しているくだりがあるが、アピチャッポンの映画を現すのにもふさわしい言葉のように思う)。丁寧に手繰られていく音の輪郭と夢の論理は、ティルダ・スウィントンという独特の存在感を湛えた女優にも助けられて、この映画の奇妙な帰結を、きちんと腑に落ちるものにしている。これは一つの達成だろう。

雨の音に耳を澄ます。それは今ここで降る雨であり、今ここであるはずがない、雨の幽霊。重ねてきた無数の、しかしそれぞれに固有だったはずの雨音の記憶が、現在の知覚に重なって鳴る。

映画の音はどこにあり、我々に何を立ち上げるのか。
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