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悪は存在しないのryoのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

梢を見上げるショットの執拗な持続から、傍観者として薪割りや水汲みを眺めていたはずの観客を、いつの間にか(思い返せば住民への説明会あたりから)あの集落に流れる時間の渦中に引きずり込み、ラストで決定的に突き放しつつ巻き込まれていたことに気付かせて呆然とさせる、映像のテンポと間合いと音楽を通じてそんな距離の操作を実現してしまう、ワーグナーに擬えるべき濱口竜介の、映像をオーケストレーションする巧みさと、観客のまなざしを感情的な共感に頼らず(子供を使うのはやや反則感あるが、娯楽というのは本来反則だらけでよい、《バック・トゥー・ザ・フューチャー》や『魔界転生』をみよ)、生態心理学的に、知覚や生理のレベルで意のままに操る力は健在。

いっときまで(《寝ても覚めても》あたりまで)はそれが人為のほうに向かい、自意識や世間体の衣をひん剝き暴き出される欲望の真実、みたいなほうに向かっていたので、すさまじきものとして距離をとることもできたが、《偶然と想像》でユーモアを導入したうえで、更にこちらの方向で来られると、ちょっとやられた……という感じ。

パンフレットを読むかぎり、これまでの作風とは違い(現場での脚本の変更はほとんどなく、脚本執筆段階でカメラもほぼ決まっていたらしい)、撮影中に新たにシーンを加えるなど偶然性の要素を多く取り入れたようだけど、それが間違いなく、良くも悪くも息苦しさすら感じるほど構築的だったこれまでの作品とは一線を劃す今回の出力に繫がっていると思う。自然を撮った濱口竜介の、新境地の傑作といってよいと思う。

序盤〜中盤くらいはいまの自分の生活とけっこう地続き、隣町くらいの世界観だな、なんてのんびり眺めていたのだが……。
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