戦争や迫害で極限の状態に追い込まれた人間の心理と行動が上手く描写されています。
強者と言う免状があれば、いくらでも他者に残酷になれるのか。
弱者と言う罪状を背負い、虐げられ悲しみの中に死ぬか、強者にすり寄り更なる弱者から搾取し生きるか、運命を受け入れるか。
中立者と言うどちらにも行く可能性がある者は、自らがそうなる事を恐れ弱者の悲劇から目を逸らし無関心で生きるか、強者にすり寄り弱者を叩くか。
残酷な事に、ナチスのユダヤ人虐殺はこれら行動に対する社会実験の場となってしまいましたね。
しかし、主人公はこの過酷な中にまた違った人間性も発見します。
ユダヤ人のおどけ た老人にドイツの若い兵士がタバコをあげるシーン
弱者から搾取する立場であったヘラーが友情から主人公を助けるシーン
主人公を支援し命懸けで匿うユダヤとポーランドの人々
主人公のピアノの音色に感動し、彼を匿ったドイツ将校
運命に翻弄され流されて行く主人公へ霧の中のケルンのように現れるシーンを見つつ。
全てが悪ではなく、全てが正義ではなく
この言葉がふと浮かぶのでした。
この映画はこの極限状態に置かれた人間の心理状態を、主人公の傍観者的視点により、観る者も一歩下がった目線で観れるようになっていたと思います。
もし、これらの立場に自分がなった際、自分はどの人間性を露わにするんだろうか・・・出来るなら後者 でありたいですね。
おりしもこの映画が上映される少し前、アイドルグループの衣装についてユダヤ団体からクレームが入り、日本中で賛否の意見が繰り広げられる騒動となりました。
TwitterのTLには、軽口とは決して言えない誹謗する呟きが散見され、ユダヤ文化に敬愛を持つ私には非常に悲しくなる呟きもありました。
そんな中、この日のこの映画の席は満員。
年齢層も性別も国籍も多様で、誹謗する人の傍らでユダヤ人虐殺について知ろうとする人の多さに驚きと喜びの気持ちで心が満たされました。
歴史を知ろうとする心、事実に目を背けない強さ
これが、他国や他民族への友好を結ぶ大切な姿勢なのではないのでしょうか。
と思いつつ、映画館を出るのでした 。
ご拝読ありがとう・・・・おっと!
ものすごい余談なのですが、ちょっと大変だったので最後に少しだけ書かせて頂きます!
隣の男性!!ナチスの侵略とユダヤ人迫害についての映画にちなんで、私の席への侵略と私への心理的迫害は止めて頂きたかったです!!
肘掛のみならず、私の方に寄り掛かろうとしないで下さい~( ノД`)シクシク…
お陰で、映画の3/2をその迫害に耐える羽目になった私なのでした。
ご拝読ありがとうございましたヾ(≧▽≦)ノ