麟チャウダー

The Son/息子の麟チャウダーのレビュー・感想・評価

The Son/息子(2022年製作の映画)
4.0
観たその日、一日中テンション上がらない系の映画のため人にお勧めし難い。でも多くの人に見て欲しいしで凄く葛藤する。
個人的にはもう心がズタボロにされて、致死量に値する感情が涙という形で溢れ出た程に、映画鑑賞による心の臨死体験を起こした作品でした。

前半から後半にかけて、子を持つ親の人生の困難や課題が親目線で描かれて、でも子供の叫びも少ない台詞に凝縮されていて、上手く社会問題を切り取っていてどの世代の人にも深く突き刺さる内容だった。
たとえ親子でも別々の人間で、他人とさえ思えてしまうような現代社会での家族というシステムの危うさみたいなのものも感じた。

後半からにかけては、人生にあらゆる困難や苦痛が訪れようと、“それでも生き続けるしかない”という現実を突きつけて、なんの答えにも解決にもなり得ないそんな“生き続けるしかない”という言葉に人生の無慈悲で残酷な側面に気付かされる壮絶な作品だった。

あと音楽も凄く良くて、感情を煽る劇伴と無音による緊張感の構築がとにかく狡くて巧い。クレジットでハンス・ジマーの名前があり納得。

言わずもがな、役者陣の演技は素晴らしい。

ヒュー・ジャックマンは、激昂する場面での表情や顔の血管までもが感情を表していて、狙って血管を浮き出しているなら凄すぎる。また、無表情の表現の幅が広いし、照明との角度や物に反射させた撮り方などの技術的な部分も相まって、物凄く意味深で無表情なのに感情を語っているようだった。この表情から何を考えて何を感じているのかを考える余白も、勝手に消極的に行間を読んでしまいより一層と作品の印象を重くしていた。あと何と言ってもラストシーンの殺傷能力たるや。どれだけ忙しい毎日を送り、色んな問題が起ころうとも力強く逞しく佇んむ様が印象的だったが、最後に立っていられないくらいに崩れ落ちる姿にはもう涙腺が堪え切れなかった。

息子役のゼン・マグラスは初めて見る役者さんで、初めはどこか拙さを感じる演技だなと思ってはいたけど、思いの丈を吐き出す場面では拙さからの高低差にヤラレた。
まだほんの子供と思えるようなコミュニケーション面での造形でありながらも、どこか達観した台詞を言ったり、溜め込んだ感情を叫ぶ内容の重さなどのギャップがある種の緩急となっていた。
さらに現代社会の若者の悲鳴を代弁する形となっており、台詞と感情の爆発で演技の違和感を飛び越えて観客の心を抉りに来る役柄だった。また話が進むにつれてこの性格であることに意味があるなと感じ、演技の拙さでは無くてこの性格の人物による言葉や感情の発露が拙さに思えていただけだと気付ける。

ヴァネッサ・カービーは、育児に追われる姿、旦那の元妻への態度、血の繋がりのない旦那の息子との同居など、相手によって距離感や言動や仕草の変化を表現したり、この人物はこの人物での苦労があってそれによる疲弊も表現しつつ、それでも自分が強く心を持たないとと己を鼓舞する精神的な強さも表現しなくてはいけなくて、相当に大変な役柄だったと思う。
現代での妻としての役割とさらに母としての役割の多さ、家事育児から、人付き合いや、夫のサポートなど、妻として求められる事の質や量が当たり前のようにどんどん増しているこの問題がヴァネッサ・カービー演じるこの人物を通して描かれていたと感じた。

ローラ・ダーン演じる前妻は、夫に捨てられたと感じてはいるが、一人では息子をどうする事も出来ず、申し訳なさそうに別れた前の夫を頼りに来る場面には、気後れや恥や罪悪感や心細さなど色んな感情が詰め込まれていて心苦しかった。
息子の家出を見送る際の、母性の悪足掻きやまた捨てられてしまう悲しさ、そして今度こそ一人になる怖さのような暗い感情が、表情や仕草を通して伝わり胸が締め付けられる思いに苦しんだ。
巣立つ子供を見送るのではなく、必要とされず役に立てず離れていってしまう息子の背中を見送る母の姿が弱く脆く見えて本当に辛かった。


息子の叫びは描かれるが、その叫び声になるに至った経緯や背景は描かれない。それは当然で、子供は親の目の届かない所で生きているから。学校での出来事は、あくまでも子供の口から聞かされることしか知らないもの。親が仕事や、家を空けている間の子供の人生を見ることは出来ない。

たしかに度々思うことがある。果たして親は誰よりも自分を知っているのだろうか、理解してくれているのだろうかと。1日の殆どの時間を親とは共有していない、成長するにつれてその共有していない時間は増えるし、距離は離れるし、隠し事や嘘もするようになる。

親の中での子供は、過去のある地点で成長が止まってしまっている節があると思う。あの頃はこうだったのにと、いつまでも幼い頃の思い出と比較する。なぜならそこまでしか知らないから、そこから先の時間を共有していないから。学校の中での体験によって目まぐるしく変化や成長していく子供のスピードに親が置いていかれているから。

まるで別人のように成長した子供と暮らすには、あの頃で止まったままの親には酷なんじゃないだろうか。別人と生きている感覚にすら陥るんじゃないだろうか。親子という生物的な繋がりだけで辛うじて続いている危うい親子関係だって少なくないはずだと思う。

親は親で、子供は子供で、いつまでも親でいることに、いつまでも子供でいることに疲れているんじゃないだろうか。家族は変えられないし、やり直せない。家族の関係性はルールであって従うしかない。疲れても嫌になっても逃げ出せない。ガチャという言葉で表現される現代の若者のこの指摘には物凄く的を得た感がある。

子供を知るには、子供を理解するには親でさえ遠すぎて手が届かないと思わされる。ますます親でさえ知らない人間になっていく子供に、どこか不気味ささえも感じるような親子関係の脆さや切なさは親目線と子供目線の両方から締めつけられる思いになる。

親には親の人生があり、子供にも人生がある。同じ空間で暮らして、同じ時間を過ごしてきたとしても、別の人生であり、それぞれの人生で共有している部分があるだけで、やはり家族と言えど他人なんだと思ってしまう。

親には親の人生を自由に生きる権利はあるが、それに付き合わされ振り回される子供にとってしてみれば、溜まったもんじゃない。子供時代の時間を共有できていない親を、親と思うにはあまりに親の事を知らなすぎる。人生について説教されるには、あまりに理解できていない事が多すぎて意図も分からず、納得もできないし、こっちの事を考えてくれているとは思えない。

家族や親子関係というシステムの危うさや、複雑さ、難しさについて、そしてそこにいるのが人間というさらに複雑な存在がある人生という大きな枠組みをテーマに、親の目線から子供を見る事で親という立場の弱さについて痛いほど思い知らされる。

世界は人生を送るには過酷すぎる。人は家族になるには我儘すぎる、親子になるには弱すぎる。人が人として生きていくにはあまりに世界は残酷で、攻撃的で、辛辣で、情け容赦ない。そうやって苦しんでいる個人を救うには家族でさえ手に負えず、頼り無いのだと。そして助けを求めても手遅れなのだと。

たとえ生きていても、心は死んでしまっていたりするものだと。そんな中でも懸命に生きている人々には救いも安らぎも休みも足りなさ過ぎると。それは心が死ぬよなと。生きた心地がしないよなと。

親の経験や成功を押し付けられ、過度な期待や重圧に押し潰れそうな子供。背負う責任、必要とされる資質、通って来るのが当たり前の経験、求められる学力と能力、人が一人で抱え込むには重すぎるし多すぎる。

何もかもに疲れた。人生に疲れた。人生は辛すぎる。痛すぎる。苦しすぎる。そう感じるのも無理はない。

一生懸命に生きていくのが当たり前。辛さや苦しさや痛みがあるのが当たり前。それを乗り越えるのが当たり前。
出来て当然のラインが止まる事なく上がり続けるのが人生。こんな人生の何が楽しくて生きていかないといけないのか。そら若者の自殺は止まらんよなと。

大人も、社会も、人生も思い遣りに欠けるし、そもそも大人も社会も思い遣れるだけの余裕が無いようにも思う。みんないっぱいいっぱいだし、死に物狂いで生きてるけど、結局は人生の問題は堂々巡りで解決に辿り着けないなと思って諦めてしまう。
世界中の人間全員が一斉に立ち止まって、天に向かって中指を突き立てたら、神様は人間の事を気にしてくれるかな?


子供の苦しみに、“乗り越えろ、みんな同じだ、みんな戦ってるんだ”としか言えない現代の親の無力さや申し訳なさは計り知れない。大人になってもこんな言葉しか見つけ出せない世界が悪いのだろう。子供達にとって優しい世界を用意してあげられないのは、そもそもそんな形に世界がならないのが悪いのだろう。でもそれをどうやって子供に納得させればいいのだろうか。

家族を幸せにするため懸命に働くが、その代わり家族と共有する時間が失われる。家族との時間を優先すれば、家族の幸せや自由が失われる。父親の仕事と家族のジレンマに苦しむ問題、さらに現代は女性の社会進出という名の夫婦共働きという、両親揃って仕事の場に駆り出される厳しい時代。両親共々、子供との関係を築く余裕を奪われる。
自分の子供の気持ちを分かってあげられない親の悲しみ、また子供はそんな親に分かってもらえない苦しみが負の連鎖を生む。

希薄な親子関係において生物の機能として、本能として親を愛せても、人間として、子として親を愛することはできないんじゃないかな。
親と過ごす時間が少なくなることで感じる、家族としての繋がりの弱体化、そこから親との信頼関係が薄れて、親は他人という感覚に陥る。
そういう現代の子供にとって人生は孤独な戦いだし、一人で生き抜くしかないにしては苛酷な競争社会が過ぎる気もする。

この作品に詰め込まれた問題は、挙げだしたらキリがない。考えだしたら広がり続ける。考えるほどに人生の途方もなさや、どうする事も出来ないちっぽけな人間に溜息が出る。しかしやはり、少しずつでも救われるような世の中になるよう、あらゆる問題から目を背けていてはいけないと強く思える作品でもあった。
目先の快楽や娯楽のために、問題から目を背けるために、楽な道を選んでいては人々の苦しみの連鎖は止まらないのだと思うし、それを多くの人が認知できるようこういう作品が広まって欲しいと思う。
麟チャウダー

麟チャウダー