このレビューはネタバレを含みます
ウェスアンダーソンによって作られた、完璧な、キュートな世界。広大な砂漠の中にポツンと現れる、彼にとって、必要な要素だけが置かれたアステロイドシティ。
重層的な物語構造を整理すると、
①演劇
劇作家コンラッド・アープによる、演劇作品「アステロイドシティ」が上演されている
②テレビ番組
演劇作品「アステロイドシティ」の舞台裏を映したドキュメンタリーが放送されている
③映画
わたしたち観客が、映画館のスクリーンで①②を内包したウェスアンダーソンの映画「アステロイドシティ」を見ている
というような感じで、あらゆる視覚的娯楽を一度に浴びせられる。
そのなかで、起きるのは、宇宙人がやってくるという不測の事態。その事態を隠蔽するために、人々は、軍によってアステロイドシティに閉じ込められる。
閉じ込められることによって、強制的に、それぞれの登場人物が自分自身と向き合うことになる。
演じることが分からない俳優たち、大切な人の死によって傷を負った人々。これらはどちらも物語層を越えて語られる。
キュートな世界に反して、重たいテーマ設定。だけど、アステロイドシティの閉鎖が解かれた後は、新たな人のつながりが生まれたり、新たな生活へ再出発していく。天才キッズたちも、それぞれ宇宙のように無限な可能性を持っている。
キュートな世界の中の、ダークな悩みや傷たち、そして、アクシデントとしての宇宙人の訪問。それはまるで、パステルカラーのなかの見えない黒色だ。でも、パステルカラーも見えない黒色も、ウェスアンダーソンの映画の中では、どちらも必要不可欠な気がしている。そのバランスがいつも絶妙なの。