SPNminaco

アステロイド・シティのSPNminacoのレビュー・感想・評価

アステロイド・シティ(2023年製作の映画)
-
『グランド・ブタペスト・ホテル』辺りから、ウェス・アンダーソンは「物語の物語」にどんどん深入りしてる気がする。頑なな虚構への没入ぶりは、ちょっと怖いくらい。
一連のロアルド・ダール原作短編映画に続いて、書き割り背景の人形劇一座っぽさが一段と増す。入れ子構造の外側にスタジオと劇作家や演出家や俳優がいて、その芝居の中は架空の街アステロイド・シティでの物語。そのまた外側には進行役MC。虚構の厚い層が「物語」をガッチリと保護してるかのよう。政府がエイリアンを隠避した(とされる)エリア51と化すアステロイドシティも同じ。
「物語」は、かくも強固に守られなければならない。さもなくば「容赦ない照明」を当てる現実に負けてしまうから。重厚なモノトーンとノスタルジックなキャンディカラー、科学と魔法、戦場と劇場、悲劇と喜劇…言ってみれば、ウェス・アンダーソン映画は極端な二面性のせめぎあいではなかろうか。
SFも相反する科学と虚構が合わさった物語だ。執拗なほど物語の「枠」に拘るのは画面設計もそうで、窓枠の中に写真のフレーム、ギンガムチェックと人物にかかる格子柄の影、箱や看板、四角い形状が何重にも現れてマトリョーシカのように内へ内へと誘う。宇宙は広がるどころか閉じてゆき、とうとう夢の中に。囲った塀、隕石、月、天体望遠鏡、UFO、スポットライト、エイリアンの目玉など、円形は終わりなき夢だ。丸いタッパーに収めた物語は、蓋をしてそのまま埋めた方がいい。
物語を演じるPLAYは遊びでもある。箱庭世界で台詞を覚えてごっこ遊びするのは、滑稽だけど真剣だ。どこまでも現実逃避するにはエンドレスに演じ続けるしかない。隔離された人々は外に出たい、事実を明らかにしたいと抵抗するけど、あまり本気には見えない。
目覚めても眠っても、作家が死んでも人々が去っても、観客を置き去りにしても、物語は終わらない。芝居の外にもまた芝居があり、痛みや喪失を抱えたナイーヴで頑固な人間たちは白昼夢の枠から出ず、もはやせめぎ合う虚構と現実の境目はなくなってしまう。核実験場が観光地遊園地となるように、物語が暗い現実を虚構に変えるのだ。
笑わない喜劇女優スカーレット・ヨハンソンが既に風格というか貫禄で魅せるのだが、その娘グレイス・エドワーズは更に貫禄ある良い顔してた。スペシャル・サンクスにスピルバーグ、デ・パルマ、スコセッシの名前があったのはインスパイア素ってことかしら。
SPNminaco

SPNminaco