みかんぼうや

硫黄島からの手紙のみかんぼうやのレビュー・感想・評価

硫黄島からの手紙(2006年製作の映画)
3.5
【戦争は個と個の憎しみにあらず。アメリカ人のクリント・イーストウッドが本作を撮ることの意義。】

劇場公開当時に観に行こうと思いながら結局行かず気が付けば十数年が経ってしまい、U-NEXTの配信一時終了前ということでようやく鑑賞した本作(これ、いつものパターン)。

押し付けがましくない中でも、登場人物の人物像をその背景とともに丁寧に描いていくあたり、さすが安定のクリント・イーストウッド作品。戦闘シーンは、ハリウッドの超有名戦争映画に比べるとだいぶ見劣りするものの、他の太平洋戦争を扱う邦画物と比較して、不自然感はなく十分に見応えもありました(自爆シーンはちょっとCG感強かったですが)

しかし、本作で個人的に一番刺さったのは、その戦闘シーンではなく、アメリカ人イーストウッドが描く、この映画の中に挿し込まれる日米交流のシーン。具体的には渡辺謙演ずる栗林中将が米国にいた時の回想シーンと米国兵捕虜のサムと伊原剛志演じる西竹中佐との会話、その後のサムの母からの手紙です。

前者の回想シーンでは、栗林中将(当時大尉)がまだ戦前の平和な時代にアメリカでの会食の席で米国の知人夫婦から「もし日本とアメリカが戦争になったらどうする?」と聞かれた後の一連のやりとりがとても印象的。ネタバレになるので詳細は書きませんが、その中には「絶対にそんなことになることはないから」という言葉とともに、少し冗談交じりのお互いの意識の中で会話が成立している。しかし、その状況は現実に起きてしまう。

後者の米兵捕虜サムとの会話と母からの手紙には、日本兵だろうが米兵だろうが、そこには国に関係なく、同じように愛すべき家族がいて、同じように家族の安全を願う人たちがいる。“鬼畜”とされる敵も、本来、同じ一人の人間であるという事実に兵士たちが改めて気づかされる。

私は、この2つのエピソードに本作の真髄を見たような気がします。無駄に命を落とす若者たちへの悲嘆や玉砕覚悟で特攻する日本兵の生き様への想いもももちろんあるでしょうが、それ以上に、個対個であれば確かな信頼関係や絆が築ける人間の良心が、国と国という集団的行動の中では、あっという間に踏みにじられ意味をなさないものになる哀しき現実、そしてつい先日まで個々人の関係では「ありえない」と思っていたことが、集団同士のちょっとしたやりとりのかけ違いから現実になってしまう恐怖。この戦場の殺戮の裏にある人間の集団意識の恐ろしさをこれらのエピソードを挟むことで描いていたように感じるのです。

このあたりは、そのまま今のウクライナ-ロシアの関係にも通ずるように思います。

渡辺謙をはじめ豪華キャストで展開される本作ですが、その中でもやはり嵐の二宮君の存在感と演技力が素晴らしいです。この頃はまだ23歳なのでバリバリアイドルとして活躍中の頃だと思いますが、この頃から既に演技では定評があったのでしょうか?彼の出演作品はテレビドラマを含め2~3本しか観ていないのですが、この演技を見て、俳優としての評価の高さに改めて納得しました。若手にして堂々とベテラン俳優陣を食うほどの演技でした。

本作は姉妹作品として「父親たちの星条旗」というアメリカ側視点の作品もあるのですよね。同じ戦争を逆視点からどのように見ているのか、大変気になりました。こちらもいずれ必ず鑑賞したいと思います。
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