ろく

イノセンツのろくのレビュー・感想・評価

イノセンツ(2021年製作の映画)
3.9
小学生のころ、友人のI君が苦手だった。

I君はすぐ動物をいじめる少年だった。トンボの首にひもをつけて飛ばし、そのままひもを思いっきり引っ張ってみたり(当然トンボはその勢いで首だけ切れることになる)、蛙の尻に爆竹を入れて投げ捨てたり、蟻の巣を見つけるとそのまま水を放水して蟻が出てくるのを眺めていたりした。

ちょっと間違って欲しくないのだけど、僕はそれを「いやだ」と思っていただけではないと言うことだ。そんなことは良くないと思いながらも遠目でI君のすることを眺め、「良くないよ~」と口では言いながら次はI君はどんなことをするんだろうと少し「期待」していた。同罪だと今では思っている。

子どもは決して「純真」な存在なだけではない。「無垢」は時に嫌なほど暴力性を見せる。死が「わからない」からこそ「死」をも弄ぶということも。

この映画を観たときまず思ったのは大友克洋の「童夢」だった(豈に図らんや、監督は童夢でインスパイアされたらしいが)。そこには「無垢」だからこそ恐ろしい「子供」(それと老人)がいた。それはこの映画でもそうだ。敵役である少年の目が怖いんだ。彼の眼は何も観てないのでは、そんな感じさえ思わせてしまう。

いつから僕らは子供を「怖く」なくなったのだろう。いや「怖い」はずなのに「怖くない」と思うようにしているのではないか、そう思う時もある。僕らは「怖い」の上に情報を塗りつけて「怖くない」としている。この映画の怖さはそのまま「子供」とコミュニケーションができないってことなのかもしれない。

この映画では終始、時間が止まる。止まっても僕らは彼ら(子供)に感情移入が出来ない。無理にしようとしても「いやほんとは出来ないでしょ」と語りかける。そしてその静寂が怖くなる。それは相手を「わかることが出来ない」静寂だ。だからこの映画は怖い。観ているだけなのに、そして何も起きないのに、ただ彼ら(子供)が虚空を見つめているだけで胸の鼓動が早くなってしまう。

いつの間にか僕は子供を辞めた。それどころか今では子供を「理解する側」についている(教職とはそういうものだ)。それでも僕はたまに彼らの考えていることがわからなくなる。そしてそれが怖いと思うのに蓋をして「そんなものだ」と理屈を仮想する。そんな僕にとって「そんなものだ」が剥ぎ取られるこの映画を安心して観ていられるわけないんだよ。


※最後の闘いのシーンに脱帽した。あの喧騒の中で静寂を撮るとは。正直あのシーンを観れただけで僕は満足だった。変に「大きく動かない」のもいいとだけ言っておく。

※人種を殊更に入れてきたことに関しての考察もあるだろうけど僕はそこまで感心しないのでそれについては言及しない。それはあまりに「わかりやすい」考察の契機になってしまっている。そこだけは不満である。
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