くわまんG

メタルヘッドのくわまんGのレビュー・感想・評価

メタルヘッド(2010年製作の映画)
4.5
見てよ!子供が自問自答してるよ!お前らもやれよ!!

みどころ:
葛藤を乗り越え現実を変える主人公
ヘッシャーというキャラの特異性
童貞の夢を粉砕するメンヘラ娘
魂が浄化されてスカッとする
J.G.レヴィットの完璧な演技

あらすじ:
事故で母を失った少年TJ。学校ではいじめ、家では鬱の父と認知症の祖母。巨大な喪失は深まる一方で、やり場のない悲しみと怒りは破裂寸前。
そんな彼の前に現れたのはヘッシャー。上裸長髪墨入りのメタルロッカーで、頼んでもないのにいじめっ子の家を放火した悪魔。今朝からTJの家に居候し始めた。絶望感よりも先に危機感を覚えるTJ。
そんな彼の前に現れたのはニコール。20代半ばの地味可愛いオネエサンで、いじめられているところを助けてくれた天使。実は彼女もまた生活苦や不運に苛まれていた。安心感よりも恋慕を覚えるTJ。
かくて大人二人を人生に招き入れた少年、その行く末や如何に。ようやく浮上か、あるいは沈没か……。

大人のサポート必要不可欠な不条理に見舞われたのに、他人はおろか肉親も役に立たず、スクラップ工場に留置された事故車の助手席に忍び込んでは、母親の匂いを探す日々。物語開始時点で、主人公の精神は既に崩壊寸前です。

ここでヘッシャー登場。

放火したかと思えば、人助けする。家で寝ていたかと思えば、校舎を歩いている。いじめっ子を見逃したかと思えば、半殺しにする。

何をするにも同じテンションで、何をするにも躊躇ゼロ。いてほしい時にはいなくて、いなくていい時にいる。

…というわけで、おそらくヘッシャーはいわゆる“もう一人の自分”でしょう。TJの心が負荷に耐え切れなくなる寸前に現れ(心に余裕がある時は現れる必要が無い)、TJの衝動的欲求(「いっそこうしてやる」的な)を代行により解消することで、捌け口かつ提案や警告として機能しているのだと思います。

TJが辛い思いをしてプッツンいきそうになる
→でもプッツンいけなくてストレス溜め込む
→ヘッシャーが登場してプッツンいってくれる
→(周囲はTJにドン引きだけど)TJの精神ダメージはゼロどころかストレス発散できて回復
→「こんなことしたらこうなる」ことがわかってTJの経験値+
→TJのパーソナリティが成長とともに安定してくる
という苦肉の防衛策で、TJの心は生き長らえたのでしょう。ただ、いつまでもはた迷惑な補助輪付では、当人が幸福でもハッピーエンドになりません。大団円を迎えるためには、ヘッシャーの消滅が必要です。

ここでTJのとった行動が、まさに子供なればこそでした。というのは、子供は人生経験が浅いゆえ記憶の干渉が少なく、時に真理まで最短距離でたどり着くので、保身を考える大人が決して取らないような最短コースを進もうとするからです。我々が彼らの発想にしばしばハッとさせられるのは、そういうわけなのかもしれません。相手が我が子となれば、その衝撃は数倍でしょう。親にとって、子の吐いた正論ほど刺さるものは無いでしょうからねぇ。

さて、ヘッシャーを演じたのはJ.G.レヴィットでした。やっぱりいい役者さんなんですねぇ♪感情に連続性が無いというか、一つの行動に“それまで”が反映されてないんですよ。何考えて演じれば、こんなふうに仕上がるんでしょうねぇ。

童貞の「僕が君を守ってあげる!(=ヤらせてよ!)」という使命感を、木っ端微塵に粉砕するニコールもリアルでしたなぁ、さすがはアナキンを狂わせた女♫高校時代の惨めな記憶が甦ってもう…酸っぱい唾液が溜まりましたわ笑

短尺ながら、ナイーブで奥行きの深い映画でした。生まれて初めて世の不条理を思い知った時の、あの思考停止の感覚が思い出されましたね。僕の初不条理は小2の秋で、御多分に漏れず超しょうもないエピソードだったのですが、あの時「なんでこうなったんだろう」以外考えられなくなって呆然としたんですよねぇ。すると母親が何か感じ取ったのか、無言で頭を撫でてくれて、胸の穴が一瞬で埋まったものです。将来我が子が虚空を睨んでいたら、是非そうしてあげよう…めちゃくちゃウザがられても♫