メタルヘッドの作品情報・感想・評価

「メタルヘッド」に投稿された感想・評価

ゆゆこ

ゆゆこの感想・評価

4.0
※※だれか、本作で違和感を抱いた私がたどり着いた私的な仮説(絶賛ネタばれ注意)に賛同して下さる方を探しております※※
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一度最後まで観終わって、なんだかんだ面白かったなと思ったが、「メタルな奴がハチャメチャするもなんだかんだイイ奴」と締めくくるにはなんだかどこかに違和感があって、その原因を凄く考えた。そして動悸しながらたどり着いた結論に同士がいるか探しましたが見当たらず…だれか、私の仮説に賛同して下さる人いませんでしょうか笑

結論から言うと、
ヘッシャーはTJの想像の産物であり、(完全には)実在する人物ではない
というものです。

私が最初に違和感を覚えたのは、ヘッシャーの神出鬼没さとTJにしか見えないような存在感の薄さです。いくらフラフラしてるような奴だからといって、あんな格好で怪しまれずにフツーに学校にいるのは妙ですし、窓から物を投げてるのにTJ以外気付かないのも変。そしてペンを投げられたのはTJなのに先生に注意されてヘッシャーのせいにしようと全くしないのも、正直ヘン。

そして一方で先生はこう授業しているのです
「…主人公の見た夢は、彼が現実で経験することのメタファーであり、願望であり欲望である…そしてそれは“母親との関係”にある…」と。
観ていた最初は全く気にも留めなかったこのセリフ、よくよく思い返すと、TJ自身をあらわしてると思えまして…

そう考え始めると、もうそれ以降が要所要所あの仮説の立証のオンパレードに笑
そして申し訳ないですが、TJをみる目が変わります…笑
とりあえず自分へのメモのためにも書き起こしていきます。
(以下とっっても長くなりました笑 お付き合いして下さった方は本当にご苦労様です…)

・ヘッシャーの不法侵入
これははじめてちゃんとTJとヘッシャーが対峙したシーンですが…その前に、あんな乱暴に走ってくるおんぼろバンを怪しまないニコールにも少し違和感。仮説だと、このシーンではTJ(いじめられっ子・母親を亡くしたばかりの少年)が自分の内なるメタルな部分(=抑圧的・閉鎖的・悲劇的な世界から解放されたい願望=ヘッシャーというもう一人の”半理想的な”自分)を認識し、葛藤していくスタート地点が描かれていると見ました。

・家族がヘッシャーを受け入れる
ここでのメインの違和感は、最愛の妻を亡くしてあんな精神ぼろぼろの父親が、汚くて下品な男の同棲をすんなり受け入れてしまっているところ。ボケが始まっているようなおばあちゃんが彼を受け入れるのはまあいいとしても、ヤバそうな見知らぬ他人に心を許す父親ではなさそう。つまり、ちゃんと描かれてませんが、(なんと)ここで父親は息子TJの(事故の悲しみから出た)幻覚(≒イマジナリーフレンド?)のようなものを認識したのではないかと。そしてそれが、父親がわざわざ息子とセラピーに通おうとする伏線にもなるのではと考えるわけです…

・車の落書き
いじめっ子が自分の車にTJが下品な落書きをしたとわめいて追いかけてくるシーン。観てる側はなんとなく根拠なしに「ヘッシャーがやったのだろう」と思うと思いますが、「違う、俺じゃない」とかいう反抗的な言葉すら発さずひたすら逃げるTJを見る限り、これは彼自身による仕業だとみていいのかも
(TJ、意外とやりよるヤツ説…)

・助けないヘッシャー
日頃ある男子からいじめにあっていたTJが、ある日トイレで暴行されます。そこにヘッシャーが現れるわけですが、いじめっ子が彼に気付いたりもしないし、ヘッシャーも何も言わず出て行ってしまいます。これはつまりヘッシャーが実在していない(=直接誰かに危害を加えたりできない)ことを示せます。
※終盤で父親とTJとヘッシャーが軽くもめるシーンがありますが、それはTJとヘッシャーが一体となってきている(束縛から解放されつつあるTJの)証とも読め、言い換えれば、TJ・ヘッシャーvs父親のシーンでもあるのではと。

・”Not really.”
いじめを傍観されたことに憤ったTJを、ヘッシャーはいじめっ子の家へ連れていき、報復として車を燃やします。もちろんこの流れだと、やったのはTJ自身。この時ヘッシャーに先に車で逃げられたTJは、その帰り道にヘッシャーの車で轢かれることを望みます。これはつまり、自分の衝動(ヘッシャーの行動)で起こしてしまったことに対する否定感情・罪悪感の認識という葛藤と読めます。なので、結果犯人としての証拠が浮上したのも、吸い殻を現場に残したはずのヘッシャーではなくTJだったし、父親に責められて普通は「やったのはヘッシャーだよ!」と逆ギレてもおかしくない所を「たぶん(自分がやった)。」(Not really)としか言わなかったのです。
それに父親も普通なら愛する息子よりもまず怪しいダチ・ヘッシャーに「TJに悪さを吹き込んだのはお前だな」とかなんとかいうもんじゃないですかね…

・ぼくは純粋です
ひょんなことからスーパーで働くニコールと知り合ったTJ。彼は彼女に淡い恋心を抱きますが、ヘッシャーは性的な下品な言葉をTJに投げ、TJがうんざりします。が、実はこれは「性的な話には興味ない」面をしているTJのなかに芽生える性への興味・葛藤とみれます。以前にもヘッシャーが勝手にテレビチャンネルにポルノを追加したり、仲直りのしるしにポルノ誌を見せてきたりしますが、これらもTJの性への興味のメタファーととっていいと思います。一方でそれはいけないことだと思うTJ本人もいて葛藤するわけですが、結果的に仕事終わりのニコールを(自転車で)ストーカーしたと考えていいのではないでしょうか

・僕が救ってあげる
ニコールが軽い追突事故を起こすシーン。なんとなくですが、TJはまずニコールが世間的に冴えない・イケていない女ということを感じ取っています。生き甲斐のようなものがないTJにとって、彼女に恋すること自体が救いであり、一種の勝手な「見守ってあげたいプライド」があるように思えます。実際にTJがどう車のオジサンを振り切ったのかは正直分かりませんが…もしかしたらすごい感じで罵倒したりしたがTJ的にはそんな衝動的な自分が受け入れられず、ヘッシャーがやったと自分に思いこませた?とか考えてしまうとそろそろ自分が思っていたTJ像が一変して凄いことになってきますが笑
※僕が救ってあげる2は駐禁切符シーンになります

・「病院の予約がある」
他人の家のプールで散々した挙句にヘッシャーが二人を置き去りにしたときのセリフ。「病院??」って思ったんがけど、TJは父親の連れられてセラピーに行かなきゃいけない身なので、TJ自身が我を忘れてはしゃいだ後にふと我に返ってセラピーの予約を思い出した瞬間のメタファーとも読めますよね…?

・名前は?何歳なの?
ニコールとTJの会話シーン。今までのことを踏まえると、ここら辺の流れはなかなか怖いですが、お察しの通り、父親と同様ニコールもTJの二面性(≒イマジナリーフレンド)の存在を察してTJと話を合わせている・同情、とも考えられます

・おばあちゃんとヘッシャー①
やっときました、おばあちゃん!(笑)彼女はなぜか最初からヘッシャーと心を通わしあえてたわけで、このシーンがあるから「ヘッシャーは実は心優しいイイ奴」と思う人続出なわけですが、当たり前です。だって私的にヘッシャー=TJであり、「おばあちゃんに接するヘッシャー」=「TJ自身が本当(本心)はおばあちゃんに対してそういう存在であってあげたい願望像」だからです。それでも自分の感情の整理や学校生活でギブアップのTJは、あたりさわりのない(言ってしまえば面倒くさい)存在のおばあちゃんに聞く耳をもつ余裕をなくしてしまったりします。でも本当は一緒にケーキを食べてあげたいし、散歩だって付き添ってあげたいとは思っているはずです。ヘッシャーがうらやましいと思いながらも、いいやと思ってしまうTJの複雑な心境を感じられると思います…

・父と息子のケンカ
ヘッシャーに触発されて思わず汚い言葉を発してしまったTJを父親が叱り、喧嘩が始まるシーン。ヘッシャーは部外者だが、まるで存在してないように(特に父親から)扱われるのにはまた違和感が。TJは今まであまり言葉を発さない子ども(少なくとも見る限りでは。)でしたが、この辺りから段々と暴言を吐き始めます。つまりは今まで自分が我慢して言えなかった鬱憤などはヘッシャーを通じて発散させることで自己消化させてたわけだが、ヘッシャーを”使わなくても”だんだんと自己表現できてきて解放されていく姿(ヘッシャーに影響を受け始める)を現しているのではと思えます。
※父親は息子の抱えるヘッシャーという男の存在を指摘したり否定することなく、あくまでセラピーへ行こうと強く言うだけだが、いうなればこれは父親の息子への寛大さと理解ある行動だと見えます。ただの病んだ父親ではなかった…

・おばあちゃんとヘッシャー⓶
そんな2人のケンカを自分のせいだと責めるおばあちゃんを優しく気遣うヘッシャー。これもTJが本当は心のうちで感じている罪悪感と申し訳なさの擬態化とみえます。おばあちゃんとヘッシャーの会話シーン、おばあちゃんが明らかにTJより歳が上のヘッシャーに「あなたはTJよりもちょっとだけ歳上ね」と言います。思わず ちょっとどころじゃないだろ、とツッコミましたが彼がもう1人のTJだと考えるとヘンテコですが変ではありません。また、ヘッシャーの蛇と鼠の話ですが、おばあちゃんが勇敢な鼠はまるでTJねと言うことに対して「かもな」と答えます。この話は多分TJが強敵や逆境に対して強くなりたいという欲望のメタファーです。それについておばあちゃんがフォローしてくれているあたり、いかにこのおばあちゃんと言う存在がTJという大事な孫の味方かを見てとれます。しかしその存在に応えてあげれていないTJという現実が悲しいものです。

・おばあさんじゃないのよ、おばあちゃんなのよ
ヘッシャーに対して自分のことをおばあちゃんと呼んでほしいと言うシーン。ヘッシャーもまたTJと同じ、彼女の孫同然なのですから…

・ニコールの相手は…
おばあちゃんが亡くなり、本当は例の車を買い取るために引き落としたキャッシュでしたが、拠り所をまた一つ失ったTJは半ば自暴自棄にその現金をニコールへ与えることで彼女との繋がりだけは保持したいと考えます。しかしニコールは男と行為中。全てから裏切られたような気分になったTJは、焦って追いかけてきたヘッシャーとニコールをものすごい勢いで罵倒します。しかしこのシーンで疑問に思ったのが、ニコールの相手は本当にヘッシャーだったのか?という点。(仮説もいい加減にしろと思った人、ごめんなさい笑。)たしかに追ってきた男はヘッシャーでしたが、部屋の中にいた男は実際誰だったのか確認できません。TJの全く知らない男だった可能性もあります。しかしTJは悲しみにくれている自分の一方で男と愉しんでいたニコールと、いつも無責任なヘッシャーを見知らぬ男の代わりに召喚して八つ当たりすると考えてもみれないでしょうか…
※ニコールが後に謝りに来ますが、「起きたことはごめんなさい」と言うだけで、とくにヘッシャーの名前を出したりしませんし、TJもヘッシャーとの関係について言及してません。

・壊れるTJ
頼れるものがなくなったTJがヘッシャーに向かって「もう僕の前に現れるな」と言い放ち、家に帰って暴れまくります。まるで今まで封印してた全てが爆発したような様子で、派手にものを投げたり燃やしたり机をひっくり返すヘッシャーのよう。彼はヘッシャーを自分と対極の人間として召喚しなくても、自身でヘッシャーのように自己を解き放っていきます。
しかし、ヘッシャーへの決別宣言は、言い換えれば、TJがむしろ自己を客観的に見られなくなったことを意味します。(TJは自ずから自分とヘッシャーとを分けることで自分はどういう人間なのかを認識できていたが、それがなくなることでストッパーがなくなり、歯止めが効かなくなってしまった)
いじめっ子に親指を切るぞと脅しをかけますが、結果何もできず、そこへヘッシャーが現れ、彼の代わりにいじめっ子を痛めつけます。TJは決別したはずのもう1人の自分がまだ自分につきまとっていることを知り、自分の無力さや嫌気で虚しさを抱えてしまいます。
結局TJはTJだったからです。

・奴の言いたかったことをオレから代弁しておく
クライマックス、おばあちゃんの葬式シーン。何も言えなかったTJのすぐあとに協会に乗り込んできたヘッシャーは、TJの言いたかったことを代弁するといって語り始めます。なかなか下品な話ですが、その話のオチまで聞いたTJは、自分が今まで様々な外的要因の苦しみや煩わしさから見えなくなっていた身近な人やモノの存在の有難さなどに気付きます。自分の現実とは対極のヘッシャーという願望的なメタファーが、敵対するものではなくむしろ自己に足りなかった何かを気付かせてくれる存在でもあったことを受け入れるのです。
生まれてしまったもう一人の自分との正しい別れ方は、そいつを理解して認めてあげること。決して突き放す(客観視を破棄する)ことではないのです。
おばあちゃんの棺桶を持ち出したのはヘッシャーになっていますが、式に参列していた人が棺桶が動かされるのを黙ってみていたのを考えると、もしかして(実際では)TJ自身が散歩宣言をして外へ動かし、父親がそれに続いたのではと考えてしまうのです…

・見せたいものがある
葬儀の翌日、寝起きのTJに父親が「ヘッシャーはいなくなった」と言い、「見せたいものがある」といいます。この「ヘッシャーはいなくなった」とは、あの葬儀を機に父親が息子へ取り戻された平常性を感じたからかもしれないし、ヘッシャーと別れさせたい父親の願望からきたセリフかもしれません。そして家の前に届けられていた例の事故車。屋根にヘッシャーイズヒアと書かれていたこともあり、ヘッシャーが持ってきてくれたのかと思ってしまいますが、私的にはTJがおろした現金の封筒を父親が部屋で見つけ、息子の本気さを悟り、買い戻したものではないかと考えています。そうすることで父親なりに、息子はヘッシャーとも別れられるのではないかと考えたのではないでしょうか。

…以上が!長かったですが私の仮説の中身です…。
この仮説だと、TJが想像以上にピュアじゃなくなるし、なにかと反論が多そうですが、私はわりとこれを信じています。
というのも、この作品がただの「ヘッシャーいいやつだなで終わるヒューマンドラマ」で片付けていいものかと考えたなりの愛でもあります。(笑)

というわけで、この仮説のおかげで勝手にすごい楽しめたので、本作にはすごく満足しています。
ねこ

ねこの感想・評価

4.0
事故で母をなくした少年TJと、妻の死からなかなか立ち直れない父親、スーパーのレジ係として働くニコール(ナタリー・ポートマン)。そこに突然、長髪に半裸の謎の男ヘッシャー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が現れます。
TJの祖母の家に入り込みに住みついた彼は、大音響でヘヴィメタルを流しながら、下品で乱暴な言動で様々なトラブルを起こします。

ここから少しネタばれかな?
最後までは書きません!







ヘッシャーの過激でめちゃくちゃで、パワフルな生命力(メタリカの音楽とともに(笑))を見せつけられた人達は、そのハチャメチャさと思ったより素直な姿になぜか勇気づけられ、暗く沈んでいた気持ちから一転、「生きているってこういうこと!?」ってな具合に、また前を向き、自分の新たな人生を歩みはじめます・・・

当時劇場で観たのですが、ジョセフ・ゴードンがすごく良かったんです。ヘヴィメタの激しさにも元気をもらいました。久しぶりに観たくなりました。
ゆい

ゆいの感想・評価

3.5
ジョセフゴードン観たさにレンタルしました。笑

インセプションとかバッドマンとかのお堅い役ばっかり観てきたんだけど、クレイジーな役もハマってました。いきなり押しかけて洗濯機借りたり、売家のプールにものガンガン投げたり、車燃やしたり、やること全部クレイジーでさすがに笑ってしまった(笑)

やり方は強引だけど、暗いTJ達をどんどん引っ張ってく感じがよかったです。人生は雨の日の散歩ってすげー深かったなぁ、、
すかっと系の映画だった。

ジョゼフゴードンがセクシーで惚れる。
報われない少年が、ロックなやべー奴に目をつけられる話!

やべー奴ことヘッシャーの行動が、まじでクレイジー!
登場シーンからロック全開 笑

欲望のおもむくままに、すべてを発散しながら生きるヘッシャーは、愚かしいけど清々しい。
その姿が、主人公たちの耐え忍ぶ姿とは対照的でまた面白かった!

ヘッシャーの生き方を見ていると、
くだらねー事で悩んでんじゃねーよ、と言われてるようで前向きになれる。
鬱憤を晴らしたい時にまた観たい映画!
記録。

主人公TJの子役含めて
全員の演技力で成立している映画。
ヘビーな内容なのに異常なまでの抜け感とふとした瞬間思い出しそうな主人公のインパクトはまさにスラッシュメタルである。

見習おう!メタル脳!
Morihito

Morihitoの感想・評価

4.5
めちゃくちゃカッコイイ
結局Hesherの気まぐれわがままに周りが振り回されてるだけだけど、それで上手くいってるから全てよし
Yochio3106

Yochio3106の感想・評価

4.3
彼此5回以上は観てます。当時メタリカ的なロゴが気になって視聴したが良い意味で裏切られた。毎回ラストの金玉の話で目頭が熱くなる。
LO

LOの感想・評価

5.0
【全然期待してなかった…が】

この映画めっちゃマイナーっぽいし、ジョセフゴードンの演技を楽しむ程度のものかなーと思ってたが、違った。

この作品は 少年TJがメインです。
その上で私が強く感じたものは「子供の苦痛」「心の傷」です。

あなたは子供の時に、こんな嫌な事 感じたことありませんか?
・家庭環境が悪い
・貧乏
・親や近い親族が死ぬ
・イジメや孤独
・欲しいものが、どうしても手に入らない
・大人のセックス
・強い者からの暴力

…など。子供にとっては痛々しい出来事が、この作品には描かれてます。
しかも子供の視点で。

そして、主人公TJの感情爆発にて、
「我々の子供の時に感じた鬱憤・不快感」を代弁してくれるかのようなシーンもあります。
大人は嫌いです。

『子供視点』で、こうも残酷な事に対面させてる作品は中々みかけない。
映画では子供なんて、大人の都合の良い「受け手」ばかりですからねー。




まとめると。
「主演ジョセフゴードンだけ」の フラフラ映画かと思いきや、
メッセージ性・ドラマ性・感情性が富んでる、素晴らしい映画でした。

作業用の映画に…と思ってましたが、意外にも引き込まれてしまい、ガン見。

ヒューマンドラマ好きなら、損しないかと?
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