「ハケンアニメ」と似たプロットなのになぜここまで感想が異なってくるのか(つまりお話はそれだけありきたりってことなのに)。
吉岡里帆と松本まりか、言ってることやってることは同じなのに、なぜ後者は愛せるのか。
視聴率がどうとか、寂しい子供のために…とか他人を使った尺度じゃなく、自分の撮りたい映像がある、ただそれだけで。
(その理由もちゃんと描かれてるし)
同じ「熱量」を描いているのに、あちらはエアコンの風、こっちは薪を燃やしてるような。
須賀健太がその熱にやられて燃え移るさまや、モトーラの種火が全開となるシーンはどうやっても胸熱なわけで。
映画愛を語る手法が映画的だったか?舞台演劇っぽさやミュージカルシーンなど疑問もあるけど、広げた風呂敷を仕舞うにはあのラストしかなかった気も。