NORA

オッペンハイマーのNORAのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.3
まずは、アメリカ資本の大作映画でここまで「アメリカの罪=原爆」に踏み込んだ勇気を買いたい。とはいえ、本作をノーランの新作とかアカデミー賞といった箔に釣られて観に行くのは勧めない。登場人物や用語がとにかく多く、時系列も頻繁に入り乱れるので、3時間ぶっ続けで鑑賞するには相当な集中力を要する。wikiで「オッペンハイマー」「レッドパージ」「マンハッタン計画」あたりの頁をざっと読んでおく程度の予習は必須である。
さまざまな解釈が可能な映画だが、本作が広島と長崎の被害に向き合っていない、という批判は明確に的はずれである。というのも本作、広島・長崎のみならず、アメリカやナチも含めて戦争のシーンが一切出てこず、そのほとんどすべては戦地から遠く離れた場所での会話劇で成り立っているからである。すなわち、好意的に言えば徹底的にフラットに、意地悪く言えば『踊る大捜査線』で言うところの「会議室」からの視点のみで本作は構成されているのであって、別にことさら日本の被害を矮小化しているわけではない。それは、この映画をより幅広い層ーすなわち、素朴な愛国心を持った一般アメリカ国民(いまだに彼らは核を「ちょっとデカい爆弾」くらいにしか捉えていない)ーに届けるための策としては、おそらく正しい。この映画ははっきりと原爆を「過ち」と捉え、直接的なシーンは出てこずとも、主人公の想像、心情、そして表情を通して、その恐ろしさは十二分に観客に伝わるよう作られている。なんなら主人公の抱いた罪悪感ですら、冷徹な相対化の対象となる。トルーマンとの会談シーンなど(この発言は事実らしいが)、明確に作り手の「怒り」が伝わってくる。栄光と挫折、天国と地獄を嫌というほど味わったこの人物を題材としてチョイスしたのは、さすがノーランの慧眼というべきか。
そんなわけで、ひとりの人間の生涯を通してより普遍的なテーマを訴えかける、という伝記映画の王道そのままのスタイルを貫いた力作であり、間違いなく劇場で観る価値はある。ただ、最初に忠告したように、生半可な気持ちで観に行くのはおすすめできない。絶望するはずだからだ。1945年に起きた悲劇に、ではない。その悲劇を、人々がどう捉えたかという事実に。あるいは、明日起きるかもしれない悲劇に。
NORA

NORA