JunichiOoya

Yokosuka 1953のJunichiOoyaのレビュー・感想・評価

Yokosuka 1953(2021年製作の映画)
5.0
横浜を撮ったドキュメンタリーを2本続けて見た。

『ハマのドン』
横浜港の港湾荷役の元締さんが「利権の塊」カジノ誘致に刃向かう話。テレビ朝日ビジネスプロデュース局の部長が作ったもの。

『Yokosuka1953』
敗戦後混血児として施設に引き取られ米国に養子として渡った女性の母親探しを追いかける話。こちらは和歌山大学観光学部教授の作。

2本とも、言わば「業界外」の方の作った映画で、こなれの十分じゃ無いところもありつつ、でもしっかり仕上がっていて。
と同時に2作には決定的な違いがあると思って、ここでは『Yokosuka1953』についてコメントさせていただきます。

とても誠実な作り方がされた映画でした。

ある日、自身のFBに突然未知のアメリカ人からメッセージが届く。監督と同姓の木川という女性を知らないか?という内容の。
そこからは有体に言えばTVのルーツ探し番組のようにややもすれば下世話に堕する探検・捜索が始まって、という流れではあります。

それが下世話にも下品にもならず、ラストの大団円に集約していくのは、生き別れた母親を探す70代のアメリカ人女性(日本名は木川洋子さん)の心持ちと、映画素人の大学の先生である木川剛志さんの心持ちが映画を作っている間中ずっと重なり合って一つになっていたからだと思うのです。

木川さんは2006年に福井工業大学に赴任し、街中に古い文化資源のないこと、寺がコンクリート造りであることに驚きます。で、地元の人に空襲で街全体がリセットされたことを聴いて、「嗚呼…」と。
その後津田寛治さんが作った福井のホームレス映画『カタラズのまちで』に関わり、学生達との短編映画祭立ち上げへと進んでいったそうです。
映画への関わりが、当該一本だけの単発なのか、自身の思想と時間が繋がったものであるのか、そこの違いがこの映画を「映画」にしていると思います。木川さんはパンフレットの中で「福井から、この映画が生まれる道筋が生まれたのです。」と仰っています。

因みに、この『Yokosuka1953』のナレーションは津田寛治さんが担当しています。

宝物のような映画で、是非たくさんの方にご覧いただければと思います。
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