ボサノヴァ

イニシェリン島の精霊のボサノヴァのレビュー・感想・評価

イニシェリン島の精霊(2022年製作の映画)
4.5
果たして、後世に残るものを生み出さない人生なんぞに、意味なんてあるのか?

私自身、去年の1月に自分の父を亡くしてから、この映画で問われているような事をずっと考え続けている。風来坊で家庭を顧みなかった私の父は、20年行方知れずの末、公営の集合住宅でひっそりと最期を迎えた。身寄りもなかったので、死後10日経ってやっと発見された遺体は、真冬の寒さでカチコチに凍っていた。正直、惨めだ、とその時は思ってしまった。父は財産もなく、身内からも疎まれていた事から、すったもんだの結果、墓碑に名すら刻まれない場所に埋葬される事となった。そして全ての対応が終わった時、父が生きていた証は「彼の息子である私という存在だけ」という事実に気づいて、かなりのショックを受けた。容赦なく経過する時間の膨大さに対して、人間の生き様なんて、藻屑のようなものだ、と思った。

しかし、後日、遺品整理に行った際、その集合住宅の住人たちから、父がいかに周囲のムードメーカーだったかを熱く語るのを聞いて、初めて涙が出た。私の記憶にある父が、そこにいた。父は本当にいい加減な男だが本当に「いい人」だったのだ。そして、凍結した遺体と対面して「惨めだ」と感じてしまった自らを、猛烈に恥じた。

以後、作中でやっているような前述の問答が、私の脳内で延々と繰り広げられている。SNSやニュースサイトをぼっと眺め見る空虚な時間を過ごしているとき、特に去来する。だけど、生きた証ってなんだ?それが出来るなら、とっくに成し遂げられているのではないか?私自身、50歳を手前にして、人生の言い訳を考えていやしないか?

なので、コリン・ファレルに、自分の指を切り落とす、と迫ったブレンダン・グリーソンの行動は、寓話として、私にはとても良く理解できるのだ。無力であることを人のせいにして、自分の人生を正当化するのが最も楽な安寧の道なのだから。
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