緋里阿純

デューン 砂の惑星PART2の緋里阿純のレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
4.8
SF小説の金字塔作品を、『メッセージ』『ブレードランナー2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が映像化するシリーズの2作目。

私自身は、原作や過去の映像化作品は未履修であり、前作と今作、またYouTubeの動画による作中ワードの解説や批評レビュー等を元に、今回の映像化で初めて『DUNE』に触れたビギナーとしてレビューする。
というのも、前作の圧倒的なビジュアルと音楽、映画という媒体を最大限に活用した贅沢な語り口に大変な満足感を、また今後の展開への期待感を抱いたため、今回の映像化をまっさらな気持ちで楽しむ意味でも、それらには触れずにいようと思ったので。

前作では、徹底してポールの目線からアトレイデス家の滅亡、そしてベネ・ゲセリットの企てによる自身を取り巻く救世主伝説に苦悩しながらも、皇帝に復讐を誓って砂漠の民フレメンに協力を仰ぎ、次第に潜在能力を覚醒させていく様子が丁寧に描かれていた。
対する今作は、そんなポールの救世主としての覚醒ストーリーに加えて、新たな登場キャラの紹介も相まって若干の駆け足感・総集編感を抱いたのは否めない。

それとは対照的に、前作では控えめだったアクション面での見せ場のシーンが今作では随所に散りばめられ見応え十分。
ポール達のハルコンネン家に対するゲリラ戦やフレメンの通過儀礼であるシャイー=フルード(サンドワーム)を乗りこなす様子。フェイドの闘技場での誕生セレモニーによる格闘戦。皇帝軍とのアラキスでの一大決戦、皇帝の座を賭けたポールとフェイドの決闘シーンと、印象的なアクションが目白押しだった。
救世主として覚醒したポールが議会の場へ赴く際の、後ろにサンドワームを従え、砂漠の風にマフラーやマントを靡かせながら歩く様や、議会での演説でフレメン達を纏め上げるシーンも画作りに力が入っている。

ただ、そうした豪華な画作りがされる一方で、敵役である皇帝一族の権力や財力に関する描写が分かりづらかったのは残念。アラキスに降り立った際の宇宙船や、お抱え軍のサーダカーの規模を見る限り、噂通りの強大な一族だという事が“戦力面”では分かる。もっと言えば、クライマックスまで来てようやく分かるといったところ。
だが、そこに至るまでの皇帝や皇后の“生活面”での優雅さがスケール感に乏しく、安っぽくすら感じられた。屋内中心、しかも狭い部屋でのシーンばかりで構成されていた為か、前作を含めて存分にスケール感が描かれていたハルコンネン家と比較して遥かに劣る気がしてしまい、そうなるとハルコンネン男爵やレト侯爵が警戒する程の人物として説得力に欠ける。
政治采配を娘の助言を元に行う様子含め、所詮はベネ・ゲセリットの操り人形という小物感を演出する意図があったのかもしれないが、ならばせめてベネ・ゲセリットの得体の知れない強大さや恐怖感には、もう少しスケールの大きな描写が欲しかったところ。特に教母様に至っては、ジェシカに取って代わられ、覚醒したポールの“声”に圧倒され怯む時点で一気に小物化する面白さがあったので、そこに更なるカタルシスを与える意味でも、ハルコンネン家以外の勢力にももう少しスケールの大きさを強調する描写は欲しかった。

前作でも顕著だった出演陣の豪華さは、今作からの追加キャストでも遺憾無く発揮されている。
開幕早々、満を持して登場した銀河皇帝役にクリストファー・ウォーケン、皇帝の娘でありベネ・ゲセリットでもある皇后イルーラン役にフローレンス・ピューという豪華さ。
そんな中でも、オースティン・バトラーによるハルコンネン家のフェイド=ラウサは今作ピカイチの存在感。戦いや死に対する愉悦、一族にさえ牙を剥く冷酷で残忍な狂人っぷりと、そこから来るカリスマ性は非常に魅力的だった。
そんな彼を利用する事を画策し、遺伝子を手にするベネ・ゲセリット役にレア・セドゥというのもまた豪華。

欲を言えば、そんな存在感抜群のフェイド=ラウサの活躍や内面の掘り下げをもっと見たかった。生誕セレモニーのシークエンスでの残忍さや狂人さの演出こそ、オースティン・バトラーの熱演もあって最高なのだが、以降ラッバーンに代わってアラキス統治に乗り出してからの活躍が、フレメン1人を火炎放射器で焼き殺すのみ。クライマックスでの決闘シーンまでは割と空気化してしまうので、あまりにも勿体なく感じた。登場人物の多さやストーリー進行上やむを得ないのかもしれないが、登場のインパクトとの落差の激しさが目に付いてしまう。上映時間が更に伸びても構わないから、もっと彼を見せてくれと思わずにはいられなかった。

ポール役のティモシー・シャラメは、今更褒める必要もないくらい、前作に引き続き最高の演技を披露している。前作のインタビューでヴィルヌーヴ監督が「彼がいたから映像化出来た」と語ったように、今作もまさに“彼の為の映画”だったと思う。
前作冒頭では、まだ15歳という年相応な弱々しく世間知らずな印象があったポールが、今作のラストではまるで別人。覚醒して得た圧倒的な能力と、戦いの中で培われていった格闘センス、フェイドを退け皇帝を跪かせるにまで至ったカリスマ性を兼ね備えた恐怖すら感じさせる成長を見せる。それは、皇帝以上の新たな恐怖の支配者を生み出したにすぎないのかもしれないという不穏さも纏っている。この変化を見事に演じ切ったシャラメに拍手。

ハルコンネン男爵役のステラン・スカルスガルドにも引き続き拍手を送りたい。合成ではなく実際に特殊メイクをして撮影に臨み、トイレに行かなくて済むように水分補給にまで気を配ったとか。

キャラクター描写で言うと、ハビエル・バルデム演じるスティルガーの狂信っぷりが意外だった。前作時点では、フレメンの一集団のリーダー格で、無頼漢的な印象が強かっただけに、今作冒頭からのポールへの心酔っぷりには驚かされた。「自分は救世主じゃない、あくまでフレメンの一員として一緒に戦わせてくれ」と懇願するポールに、「謙虚だ。やっぱり救世主だ」と仲間に吹聴する様子は面白かったが。

ゼンデイヤ演じるチャニの現実的な視点は、現代的なアプローチとして正解だったと思う。原作が60年代の作品なだけに、当時の男性上位な視点を持つ原作から1番変化させて描かれているのだとか。ジェシカによって次第に宗教としての勢力を強めていき、ポールの覚醒によって完全に救世主伝説を盲信していくフレメン達と、自分を見失い始めているかのようなポールに、あくまで冷静且つ批判的な視点を最後まで投げかける。
ラストシーンで砂虫に乗るために準備する彼女の目には、名作『ゴッドファーザーPart1』でマイケルがマフィアのボスになった事でファミリーの静かな崩壊が始まった事を示す様子を、部屋の外から静かに見つめていた彼の妻に似た悲痛さが滲み出ている気さえした。あのラストシーンがあったからこそ、今作でのポールの覚醒や皇帝失脚による戦乱の時代の幕開けという、決してハッピーエンドではない物語の不穏さがより際立っていたと思う。

監督によれば、Part1・Part2は原作を基にした二部作。更にその先にオリジナルのPart3の構想もあるらしく、今作の世界的ヒットから、問題なく実現するだろう。
新たな皇帝となったポールが、諸大領家との戦争にどう立ち向かっていくのか。狂信化したフレメン達を“楽園”に導く真の救世主となるのか、夢で見て恐れていた死体の山を築く恐怖の支配者となるのか。それには、チャニの存在が重要になってくるのは勿論だろう。

彼がチャニに投げかけた「この先もずっと君を愛してる」という言葉や、未来に生まれてくる妹(アニャ・テイラー=ジョイなの豪華過ぎ!)による「愛してる」の言葉、前作で父親のレト侯爵に言われた「真の指導者は進んでなるのではなく、求められてなるのだ」(これが指し示すのがベネ・ゲセリットによって植え付けられた信仰心による今作での覚醒かは不明)という言葉を振り返ると、まだポールには引き返す道、別の道があるようにも思える。現に覚醒前は、自身も疑問を抱き続け苦悩していたので。
もしかすると、今のポールはベネ・ゲセリットが作り出した偽の救世主にすぎず、真に銀河に平和を齎す救世主となるには、チャニが必要であり、彼女との対決もあるのかもしれない。

そんな先のストーリーへの期待と妄想を膨らませながら、この壮大な物語に、ヴィルヌーヴ監督がどういった決着を着けるのか今から楽しみで仕方ない。
緋里阿純

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