緋里阿純

ナポレオンの緋里阿純のレビュー・感想・評価

ナポレオン(2023年製作の映画)
3.5
巨匠リドリー・スコット監督によって描かれる、フランスの英雄ナポレオンの軍人としての生涯。だが、決して彼を英雄視して描くのではなく、寧ろ時に滑稽に、時に脆く、あくまで「一人の男」であると冷たい視線を向けて描いているのが特徴的。
※私自身歴史に明るくないので、本作が日本での公開前に、海外で批評家から「史実を無視している」と指摘された部分や、ナポレオンと妻のジョゼフィーヌに関する人物像の史実との違いについては評価出来ないので悪しからず。

2億ドルとも噂される莫大な制作費を投じての表現の数々は、まさに豪華絢爛、圧巻の一言。豊かで鮮やかな衣装の数々、フランス市内や宮殿の美術、予告編でも一際目を惹く戦争シーンの数々は、映画館の大スクリーンで堪能してこそだろう。
しかし、そういった制作費の掛かった表現は、決して作品の“面白さ”を担保するものではないという典型例とも言える。
これは、監督が以前手掛けた『ハウス・オブ・グッチ』にも通ずるものだろう。

『莫大な金の掛かった“再現VTR”』とでも表現すべきか。私が本作を通じて1番に抱いたのは、そういった感想だった。

ナポレオンを過度に英雄視しないという視点は面白い。だが、監督は彼をアレクサンドロス大王やヒトラーのように、権力に溺れた暴君や独裁者として捉えている様子で、そういった彼への悪印象が、時にあまりにも幼稚に、ストレートに描かれている。この辺りのある種のいじめ的な「あいつ悪いヤツだから馬鹿にしてもいいよね」という視点・表現には、好みが分かれそう。

その最たる表現が、妻ジョゼフィーヌとの夜の営みのシーンだろう。ナポレオンが低身長なのは有名な話だが、自分と大差ない身長の彼女を相手に、あまりに速すぎる作業的なピストン運動をかまして、一方的に果てる。ジョゼフィーヌはあまりにも淡白に、喘ぐ演技すらせず「あら、終わった?」と言わんばかりの反応を示す。仕舞いには、「早く世継ぎが生まれますように」と、自分の願望を一方的に彼女に投げかけて眠りにつく。典型的な、“女性を満足させられない、自分主体のSEX”をするダメ男だ。だからと言わんばかりに、ジョゼフィーヌは若い部下と浮気をする。
個人的には、この表現には思わずクスッとさせられた。

他にも、低身長故に馬に跨る際、誰かのサポートが必要であり、例えそれが戦場であっても、サポート無しでは跨るのに一苦労する。
エジプト遠征時、棺のミイラと対面する際に踏み台を用いたりと、画面は豪華だがとてもコメディ的に彼の滑稽さが描かれる。

問題なのは、そうした彼への悪印象の数々はストレートに表現されつつも、肝心のナポレオンの内面やジョゼフィーヌへの歪んだ愛情とも言える執着心に関する部分が、非常に表面的でフワッとしており、人物像が掴みづらい点だろう。だから、彼に感情移入はおろか理解すら満足に出来ないのだ。

権力に溺れていくようになるキッカケがジョゼフィーヌだという点や、マザコンで女性に支配もしくはサポートされないと生きていけないという点は、映像を見ていれば読み取れはする。しかし、それだけではナポレオンが元は自国の防衛の為に戦場へ出ていたはずが、後々侵略の為の戦争へ乗り出していく動機の提示としては些か弱く感じる。
ジョゼフィーヌとの愛憎入り混じった夫婦生活も、彼女の浮気に激怒し責め立てた夜があるかと思えば、翌朝には立場が完全に逆転しており理解が追いつかない。

かと言ってジョゼフィーヌに重点を置いて描かれているかと言うと、そうでもない。序盤こそ、ナポレオンに取り入って妻となり、彼を出世させる事で自身も権力を手にしようという悪女的な野心があるのかと思われた(実際にありはしたのだろう)が、以後はそういう側面も然程強調はされておらず、単に尻軽で我が儘な女性にしか見えない。

このように、物語のキーとなるはずの2人が、揃って軸の定まらないフワフワした印象のままなので、ドラマとして入りづらいのだ。
史実を脚色して描くのならば、ナポレオンをそれこそ監督のイメージするヒトラーのような権力を求めて邁進する侵略者、ジョゼフィーヌを期代の悪女として誇張して描いても良かったと思う。
彼らの心情を「何となく、そうなのだろう」と、提示される断片的な情報を自分的に解釈し、納得させて鑑賞しなければならないのは少々苦痛だった。分かりやすければいいと言いたいわけではないが、少々薄味過ぎやしないかと。

それとは対照的に、作中描かれるナポレオンの転機となった4つの戦争、トゥーロン、アウステルリッツ、ボロジノ、ワーテルローは、撮影カメラ11台、エキストラ8000人を投じただけあって、どれも圧巻の一言。ともすれば、「監督は単にこれらのシーンを撮りたかっただけなのでは?」とすら思えてしまうほど。
特に、予告編でも使用されているアウステルリッツとワーテルローの臨場感は抜群。しかし、これらの戦争も投じられたコストから考えると非常に短時間で描かれており、予告編から受けた史実の戦争を再現する戦争映画を期待して観ると、物足りなく感じられる。何なら、これらの映像をふんだんに使った戦争映画でも構わなかったのだが…。

こうした様々な要素が、事前にイメージしていたより大分淡白に描かれていく。そうして本作への考えを巡らせていく中で、一つ気付かされた。この淡白な表現の数々は、やる事やってすぐ果てるナポレオンのSEXと同じだと。だからこそ、最終的に1番印象に残るのが、ラストに提示されるナポレオンの起こした戦争による戦死者数含めた、監督のナポレオンへの悪印象の数々になってしまうのだ。

もしかすると、監督はナポレオンを「ただの男」として描きたかったのかもしれない。英雄とも侵略者とも呼ばれている男も、所詮は我々と同じ1人の人間に過ぎないのだと。もっと言えば、ジョゼフィーヌさえも。
とはいえ、それを描くならあまりにも様々な部分に予算を割き過ぎだし、我々と同じだと言いたいのなら圧倒的にドラマが足りていないとも思うのだが。
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