ベートーヴェン《悲愴》と共に始められ、シーンのひとつとしてのピアノの演奏と人間の声によって神や宗教や哲学が語られる。動きの少ないカメラで映す難解な会話劇はある種のベルイマンの手法に通じるものがある。>>続きを読む
全体的にわちゃわちゃしすぎている。それにしても、緊張と緩和の繰り返し、陽気な強盗団は子気味良い。ロッサナ・ポデスタは峰不二子。
知略の限りを尽くした強盗団による金塊奪取の流れは、素敵な音楽も相まって愉快と緊張の連続。金庫の床に空けた穴からボロボロと金塊が落ちてくる様子は、夢のような幸福感がある。
せっかく盗んだ金塊をポンコツな>>続きを読む
カットとカットの面白いつなぎ方が散見。コント的な要素も散見。ズームやトラヴェリング多め。デルフイーヌ・セイリグのこと髪型好きだ。
閉じ込められた部屋から脱出するために全員で協力をしないと…と言いつつも、人間のエゴを爆発させるブニュエル。
サスペンス風の設定と演出をしてもブニュエル的なタッチが強すぎてサスペンスになりきらないブニュ>>続きを読む
これはジャンヌ・モローの映画であって、別にブニュエルである必要性はないと思う。脚フェチイメージは出てくんだけど…
アラン・レネ的な、全てがレネによって作り出された虚構のような撮り方(『去年、マリエンパートで』と同じ)はこの映画の持ち味なのだが、男女の恋愛会話劇に広島の原爆が利用されている感が否めないのは、僕が広島>>続きを読む
ストーリーに一貫性ははない。フェリーニのやりたい放題がオムニバスのように詰め込まれている。愉快愉快。
劇場でのショーと観客のヤジの応報がいかにも喜劇的。
ラストのバイク集団目線での異動撮影、エットーレ>>続きを読む
いつの時代も宗教と美術は密接に関係しているように、フェリーニの壮大な美術と宗教が強く結びつく。
別に面白くはないけれど、全ての映画的要素を芸術性に注ぎ込んだような大作映画。
人が死ぬシーンのヒッチコック・サスペンス的なモンタージュ、映画の古典的な高等テクニックがすばらしいキューブリックの長編第1作。
いかだの上にて単騎、複数の敵と撃ち合う兵士は、備中高松城攻めの和睦の証>>続きを読む
4人のマドモワゼルたちのキュートな強盗ドタバタ喜劇。迫真カーチェイスの間にもギャグを入れてるくの好きだよ。ジェーン・バーキンもゲンズブールも好きだよ。
「戦後の映画史はこの作品から始まった」と山田宏一に言わしめ、イングリッド・バーグマンのハリウッドでの地位や名声を捨ててまでロッセリーニの元へ旅立たせるほど魅了し、それによってヒッチコックを憤慨させた作>>続きを読む
齋藤寅次郎×美空ひばり(子供時代)の映画は『東京キッド』の方がおもしろい。
超絶ビブラート
トリュフォーの映画はたくさん観たけど、ヒッチコック・サスペンス的なショットとか、トリュフォーらしい脚とか、軽快なシーンとか、ロマンスとか、色々詰まっていて集大成的遺作。
人差し指だけでタイプする秘書候>>続きを読む
女たらしの男が幾人もの女性との関係を赤裸々に語るアンリ・ピエール・ロシェの『手帖』に通ずる物語。
女性を愛するトリュフォーの脚フェチが惜しみなく発揮される。
船着場で待つベルモンドの期待に反してなかなか降りてこないブロンドのドヌーヴ、その様子を黒髪女性ばかり移して表現するのがおもしろい。
冒頭にジャン・ルノワールへの献辞が見られるように、『大いなる幻影』>>続きを読む
野生児だった子供が訓練によって知性と理性を備え、人間らしさを持ったヴィクトルになってゆく。子供を愛するトリュフォーだから撮れた映画。
ロウソクの火を照明にするのは、『バリー・リンドン』(スタンリー・>>続きを読む
前衛的な芸術映画を撮ろうという気概がプンプン。ゲンズブールとジェーン・バーキンを見るための映画。ジャンヌ・モローのLPが出てきた。
カット割りが多くテンポが良い喜劇ドラマ。
なかなか車が止まってくれない横断歩道で、服の中にモノを詰め、妊婦のフリをして車を止め、更には荷物まで運ばせる。フランク・キャプラ『或る夜の物語』やゴダールの>>続きを読む
黒を基調とした室内のシーンと白を基調とした屋外のシーンが繰り返され、明と暗、静と動、閉塞感と開放感が交互に訪れる。
女を埋葬するシーンが印象的。男が同席者の中で、遺体を切り刻む者を募る。オークション>>続きを読む
長くてだらだらしてるけど面白い。ハンコをなかなか押せない場面が2度繰り返される。
リリオムの死後、天国の場面はメリエスの『月世界旅行』のよう。
狭い人間関係の中で、それぞれの思惑が交差し、時に互いに人間関係を壊し合う。
軽快でテンポが良い。
冒頭3組のカップルによる食事シーンは顔面に寄ったカットが多めで、細かい目線の移動や些細な表情の動きを確実に拾い、その後に露わになる人間関係の不安定さを暗示している。男女の人間関係が不安定に揺れる物語は>>続きを読む
『フレンチ・ディスパッチ』誌の記事をそのままオムニバス形式で、けれど雑誌としての一貫性を持った、映画のような雑誌のような映画。テンポよく映像は切り替わり、幾何学的で等速直線運動的なカメラの縦横移動によ>>続きを読む
広い範囲を俯瞰するように固定されたフレームで切り取られる絵画の背景の中を人々が歩き回る屋外の映像、「自然さ」にこだわるロメールがこんな劇みたいな、非現実的な映像を撮った所以は?
同じ時期に、同じ撮影監督ネストル・アルメンドロスによって撮られた、「時代もの」という同じジャンルにトリュフォーの『アデルの恋の物語』があるけれど、「暗く落ち着いた色調で描かれる『アデルの恋の物語』に対>>続きを読む
死人が生き返るゾンビ映画(?)はアメリカ的なものであり、海に不穏が訪れる演出はロバート・エガース『ライトハウス』に多かれ少なかれ引き継がれているものがある気がする。
ジョン・カーペンターの視覚的イメ>>続きを読む
中に浮かぶ帽子や受話器、拳銃や衣服など…の見えるものを使うことで、見えない透明人間を表現する手法のすばらしさ。
ジョン・カーペンターの映画は物語さながら、視覚的なイメージが独創的で鮮やかだ。
ボロボロになっても殴り続ける2人、思わず「まだやんのかい」
アメリカ的なシナリオとアメリカ的なイメージ
幽霊が見える/見えないの中で憑依する設定でもチープにならないのは濱口的な語りのすばらしさ。
結婚式当日の朝から結婚式が終わるまでの新郎新婦の心情の移り変わりを描く。自宅の机の上にある結婚届け(新郎の印鑑しか押されていない)を移すカットを入れることで、新婦の迷いを暗示させるのは見事な濱口のテク>>続きを読む
8mmフィルムの荒い映像で語られる97分、映画を撮る前半と、その映画が丸ごと組み込まれる後半による2部構成。
暗闇に4つの白い塊(3つのワイシャツと1つのサッカーボール)が浮かび上がるシーンが印象的。>>続きを読む