顰蹙を買うかもしれないが、『君の名前で僕を呼んで』を観たときに驚いたのは同性愛が非常に屈託のないものとして描かれていることだった
95年だからちょっと前だが、そういうクィアとは何かしらドラマティック>>続きを読む
映画というのはあまりに正直かつ残酷なので、サー・ミックはならず者の頭領ではなく、本来彼がそうであるところのならず者に憧れるブルジョアの若造にしか見えない
エド・サリヴァン・ショーに出るときならそれでい>>続きを読む
やはりワイズマンの後だと、観察映画ということを念頭に置いておいていても無意識にひとつの結論に集約される物語を求めてしまうものだなと
難しいね
ベルトルッチのウンザリするようなセンセーショナリズムと嗜虐性に慣れた後だとシンメトリーに溢れたパゾリーニのなんと静謐で聖性に満ちたことか
『ベン・ハー』と『奇跡の丘』の違いといったところ
国籍や階級といった「記号」を喪失してゆくことによって、断絶を続けたまま奇妙な相互理解に達するふたりの男
戦争映画ではないな、
ベケットやカフカの愛好家は気に入ると思う
西欧の映画をそこそこ観た後だと、モンタージュってソ連で生まれてアメリカでのみ根付いた本当に奇ッ怪な時間表現だよな〜と改めて思う
どちらの国にも「過去」を切り捨てたことに対する後ろめたさのようなものが>>続きを読む
神話だな
海の神話であり、山の神話
A.バザンという人が理想の映画というものを何かこう人智の及ばない、及んではならないものとして考えていたなら、これはいちばん相応しかったんだろうなと思うね
"Miracle"ではなく"Miracle Worker"であるところのキリスト、
哀しげな異端者でなく怒れる反抗者であるところのキリスト
ああ、まるで三島由紀夫のような話だね…
こうして別の国の、別の人々の物語として受肉するのを見るときのみ、この人が生涯逃れ得なかった「クニ」という思考の軛からわれわれも逃れられるというのはなんとも苦しい>>続きを読む
個人的にはシュテファン・ツヴァイクにあと10年くらい長生きして、黒澤の映画を観て欲しかった
ヨーロッパでもロシアでも失われてしまった精神が最良の形で、アジアの片隅で受け継がれていることがわかったはずな>>続きを読む
59本目
モンティ・パイソンと2連続で観るのはつらいね
もう少し人生ってものを真面目に信じていたいもんで
「高度に発達したホモソーシャルはホモセクシュアルと見分けがつかない」
リリアーナ・カヴァーニ『愛の嵐』を思い出した
58本目
あいにく浅学が祟って本の方は読んでないんだけど、このデュラスという人が魅力的なのは、意識の外にある集合的記憶の前では個々人の境界線など水に溶けるようになくなってしまうという哲学がどの作品に>>続きを読む
ソンミ村を初めて扱ったアメリカ映画
かの国が自らを告発する映画というのは沢山あるが、ここまで胸糞が悪くなるのはそうそうないよ
デ・パルマなんかは撮ってるのかな?
これに比べれば『プラトーン』だって戦>>続きを読む
どうにも自罰的でなんだかね
シアヌーク国王がここでのカンボジアの描かれ方に憤激して自分で映画作ったらしい
そっちの方が面白そうだ
57本目
アパートメントの美術は目の痛くなるような原色で統一しておきながら、一歩カメラが部屋を出ると灰色のパリの街になってしまう、この人の美的感覚が何とも気持ち悪くてねえ
目に見える世界全てを原色で>>続きを読む
タイトルに偽りありで、ここで「こわれゆく」のはコロンボ刑事だと思ったよ
だからというかなぜかというか、『めぐりあう時間たち』をまた観たくなった
ハリウッド映画というのは実のところその最も楽天的かつヒューマンな作品であっても人間を一切信用しない、信用できるのはシステムであって、人間はその駒として奉仕すれば良いというような人工国家ならではの極めて>>続きを読む
♪昨日は昨日 明日は明日
二度と来ない今日に 命を燃やそう
ニヒルという言葉も直ちににやけたスタアの売り文句になってしまう国において、真のニヒリズムが映像に表出されるということはこういったストイ>>続きを読む
覚えてるよ
いい時代だったね
大っぴらにいい時代とは言えなくなってしまったけど
主題歌ジェニファー・ウォーンズ
アメリカ映画の素晴らしいのは、どんなに完璧でない人間でもふとしたきっかけから世の中を変えていけるという、シンプルにしてかくあるべき理想を常に描いているからです
♪ポッ、ポッ、ポッ〜
ポゼッション〜〜
の監督だから『神様はつらい』ポーランド・エディションとは言ってもやっぱり違うね