DONさんの映画レビュー・感想・評価 - 13ページ目

スパイダーマン:ホームカミング(2017年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

スタン・リーとスティーヴ・ディッコの原作者2人を除いた総勢8人による苦労の痕跡も虚しく、いや、だからこそというべきか、脚本が壊滅的に酷い。

すべての展開が『クロニクル』や『デッドプール』以降のジャン
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ノック・ノック(2015年製作の映画)

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出来の悪いコメディに見えてしまう脚本の弱さ。あるいはそこに逃げてしまうところにイーライ・ロスの限界があるのかもしれず。虐げられているにもかかわらず目がうれしそうなキアヌがよい。

アウトレイジ ビヨンド(2012年製作の映画)

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このレビューはネタバレを含みます

生き馬の目を抜く世界を超えて(=beyond)生きるための、義理人情という一線の矜持。

続編は見事なまでに前作とコントラストをなしている。木村(中野英雄)は大友(ビートたけし)のために「自ら」指を詰
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フレンチアルプスで起きたこと(2014年製作の映画)

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大雪原で開かれたパンドラの箱。一枚一枚薄皮を剥ぐようにして、男の虚勢と矜持が砕かれていく。巨視と微視、それぞれを凝視する眼差しの被虐と嗜虐。途中で挿入される裸祭りには、悪ふざけだとわかっていても爆笑し>>続きを読む

レジェンド 狂気の美学(2015年製作の映画)

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『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』でのエミリー・ブラウニングはひとりロンドンへ旅立つ。自ら選び、望む場所が世界の中心だと信じていたから。

本作の語り手、ロンドンのイースト・エンドに住むフランシスもまた、
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ブレイブハート(1995年製作の映画)

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改めて振り返ると、映画作家としてのメル・ギブソンは、受難から抵抗=闘争をへて、救済へと至る道をつねに描き続けているのがよくわかる。そして、救済と堕落の証左となるのは、「被虐=嗜虐」と「幻視」という此岸>>続きを読む

アポカリプト(2006年製作の映画)

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並みのホラー映画より100倍怖い地獄世界。明らかにイーライ・ロスの『グリーン・インフェルノ』も本作の影響下にある。空間設計は対極だが、一番近しい映画は案外『悪魔のいけにえ』という気がしないでもない。背>>続きを読む

パッション(2004年製作の映画)

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阿鼻叫喚の凄惨極まる被虐=嗜虐描写は言葉を失わせるが、それ以上に、その被虐の頂点で天からこぼれ落ちる涙の描写にこそ瞠目。
神の視点と観客の視点の一体化。こんなことを考えつくメル・ギブソンはやはりとんで
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ロンドン・ロード ある殺人に関する証言(2015年製作の映画)

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2006年に英国で起きた実在の売春婦連続殺害事件。事件の現場となった街の住民たちの証言を脚色せずに台詞にしたミュージカルドラマ。

舞台の映画化だが、閉鎖的な街と犯人探しに疑心暗鬼に陥っていく住民たち
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ランバート・アンド・スタンプ(2015年製作の映画)

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ビートルズにジョージ・マーティンがいたように、ザ・フーにはランバートとスタンプがいたとは知らなかった。しかも単に音楽性を形成したというにとどまらず、彼らはバンドの生みの親であり、マネージャーであり、進>>続きを読む

ウォー・マシーン:戦争は話術だ!(2017年製作の映画)

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製作者として作りたい映画があることと、俳優として適切かどうかは別問題。現代の戦争を題材に『M★A★S★H マッシュ』をやろうという難題も大きな失敗要因ではあるのだが。
ブラッド・ピットが完全にミスキャ
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ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走(2016年製作の映画)

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バカンスに出かけた一家の乗った最新型自動車が制御不能に陥り、高速道路を160キロで暴走する。フランス産ミニミニ・マッドマックスといった風情。コテコテのギャグは冴えないが、自動車アクションはなかなか魅せ>>続きを読む

ホームレス理事長 退学球児再生計画(2013年製作の映画)

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傑作という言葉すらおこがましいドキュメンタリー映画の臨界点。ここには人として失ってはならない何かかけがえのないものが確かに映っている。
カメラの「被写体」となることで、すでにその対象者や環境は変化を被
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ヤクザと憲法(2015年製作の映画)

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日本国憲法 第14条

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

彼らを排除しているのは誰か。住みやすく安
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ライフ(2017年製作の映画)

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『ダーク・スター』と『エイリアン』を見た中学生が勢いで作ってしまったような映画。実現可能な技術と舞台設定という綿密なリアリズムは、その中二病的悪ノリという核心を隠すための偽装にすぎない。だって脚本は『>>続きを読む

マンチェスター・バイ・ザ・シー(2016年製作の映画)

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人は誰もがそれぞれのやり方で、必死に世界と歩調をあわせ生きている。何かを抱えて足はもつれ、もがき、焦れ、いつしか間にあわなくなる。その足で自分には何ができて、何ができないのか。取り返せないその隔たりを>>続きを読む

彼は秘密の女ともだち(2014年製作の映画)

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マスキュランなロマン・デュリスとフェミニンなラファエル・ペルソナの配役を入れ替えたほうが明らかに「らしい」のだけれど、それでは作品の本質が隠れてしまう。
「らしさ」という表皮を剥がし、可笑しさと哀切、
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ラスト・スキャンダル あるハリウッドスターの禁じられた情事(2013年製作の映画)

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エロール・フリン、ビヴァリー、ビヴァリーの母親の人物像が平板で単調なために、表面的な実話をなぞっているだけに見えてしまう。キューブリックやジョン・バリモアのエピソードなど、逸話としては面白くても、それ>>続きを読む

ノー・エスケープ 自由への国境(2015年製作の映画)

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薄っぺらな児戯。現実を題材にしつつ、そこからの飛躍がまったくない。ゆえに映画に対しても、現実に対しても敬意というものがない。父キュアロンやスピルバーグを持ちだすまでもなく。

ロスト・バケーション(2016年製作の映画)

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怯え、うろたえ、悲鳴をあげながらも、けっして生命の輝きを失わないブレイク・ライヴリーの眼差しと表情。彼女の行動を支えているのが単なる生存本能だけではなく、母親への思いも重ねられているところがうまい。

アムール、愛の法廷(2015年製作の映画)

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法廷ものを期待していると明らかに期待外れだし、肩透かしを食らう。だが本作の眼目と魅力は、裁判長ファブリス・ルキーニが見せる態度や胸中の変化するグラデーションにある。被告や陪審員と対峙するときの毅然と、>>続きを読む

海よりもまだ深く(2016年製作の映画)

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脚本のリアリティを「フィクション」にしてしまう致命的な演出力の欠如。
例えばそれは、老いというイメージから連想される紋切り型を避けんがために取って付けたような樹木希林と橋爪功との関係性であり、各人がよ
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超能力研究部の3人(2014年製作の映画)

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あくまで人物を中心にフォーカスしつつも、空間の広がりと想像を喚起させる四宮秀俊の撮影が素晴らしい。
ひとり演技の次元が違う山本剛史と山下敦弘の掛け合いが死ぬほど可笑しい。フェイクドキュメンタリーを成立
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俳優 亀岡拓次(2016年製作の映画)

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用意周到だか感情的なんだか、よくわからない。

嘘という用意周到に張り巡らされた映画のなかで、感情的を放出する俳優。その周到な網の目がほつれ、こんがらがって、いつの間にか現実とないまぜになっている。え
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クライム・ヒート(2014年製作の映画)

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「罪を背負って犬を憎まず」と、トム・ハーディは言った。

エージェント・ウルトラ(2015年製作の映画)

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『クロニクル』と同様に異能者への覚醒と葛藤、イケイケの全能感を描いたマックス・ランディス脚本作。だが、異能者であることと青年期のアイデンティティ形成がうまく重ね合わされていた『クロニクル』ほどの面白さ>>続きを読む